風に乗って鼻腔を擽る華の香りに、俺は立ち止まった。

まさかと思った。
この香りを身にまとう人間は、主にプロンテラを拠点にしていたから。 だが、辺りを見渡してみるとすぐにそれが勘違いでない事がわかる。
表通りから狭い横路地に入った所にある小さな物置の影から、魔術師のマントの端が見えたからだ。
俺は驚きながら細道に入った。そして膝を抱えて体を丸めて、体を抱くように座っている彼を見つけたのだ。

「オイオイ…、何て所で寝てんだよ」

仮にもここは裏社会の人間達がこぞって暮らしているような街なんだぞ。
あんたみたいな綺麗所がこんな所で寝てたら、一発で攫われちまってどこぞで売り飛ばされても文句は言えないんだぞ。


……まぁ、この男だったら、高笑いしながらそんな不届き者は燃やし尽くしそうだけどな…。



「…いやねぇ…。あんたって何だってこう…人が弱ってる時にばっか顔見せるのよ。探知機でも付いてんの…?」

「…ネオン?」


どうやら寝てはいなかったらしい。赤い髪の麗しの魔術師は、いつもの女のような蓮っ葉な言葉をかけてくる。
だがその声にいつもの張りが感じられない事に眉を潜めた。
熱を持った様な声色と、浅い呼吸、億劫そうに上げた顔。
そしてその潤んだような目と頬紅でもつけたようにほんのり染まった頬は、俺の中の雄をぞくりと震えさせたのだ。

「お前…」

「ちょっと泉のあるところまで連れて行ってくれない?情けない事に薬盛られちゃって動けないの」

何の薬かなんて、今更聞かなくともわかった。










 Deus ex Machina 2.5








深い空の闇の中には、白い月が昇っている。

この乾燥した街から見上げる空が、世界で一番月を綺麗に見せる。

俺はその月の光に向かって歩いていた。


腕の中からは華の香りとかすかに香る酒の匂い。


「…あんな小さな子供使ってくるとは思わなかったのよ………悔しい…っ」


横から掬うように両手で抱きかかえるようにして、俺はできるだけネオンに振動を与えないように歩いていた。
わずかでも動けば擦れる服の刺激にネオンの眉間の皺が増える。
媚薬と呼ばれる物にも種類はあるが、どうやら神経を過敏にさせるものを使われたらしい。
いつもは騒がしいネオンも、今は黙って俺の腕の中に収まっていた。

「で、そいつ等はどうしたよ」

場合によっては追って来るかもしれない。単純にこいつを狙っただけだったとしても、商売に使う気でいたにしてもすんなり諦めるような人間が薬などを使うはずが無い。
人目につかない様に歩いてはいるが、腕の中のこいつはもう戦う事も満足に出来るように見えなかった。追いかけてくる人間がいるようならどこかに隠れた方が得策のようにも思えた。

「一人残らず半殺しにしたわよ。でも魔力を制御する余力もなかったから、…もう使い物にならないんじゃないかしら?」

何が…とは、聞かない方がいいだろうな。きっとこっちの玉が縮み上がる。

あー…。怖い怖い。

冷気を感じて肩を震わせた。
まぁ、生憎そいつ等に同情する気も起きなかったが。
とりあえず、本人の意向を考慮して泉に向かう事にした。



ふわりと風に乗るように甘い香りが鼻につく。
ほんのり甘く、いっそ清々しく感じるような華の香りをこの男はいつも纏っていた。
花畑や花壇の中にいるような香りではない。
たとえて言うなら一輪だけで十分薫り高い華を抱き締めているかの様だ。
花なんて愛でる趣味はないから、どの花かと言われても説明などできるはずもないが、こうしている今でも目の前の男から華の香りは漂ってくる。

俺は落ち着かなくて、ネオンに問い掛けた。
「お前、香水とか使ってるのか?」
「……?使わないわよ」

じゃあ、この香りは何だというのだろう。

今まで隙を付くようにしてきたキス。口内を犯す時にいっそう高く香ってくるこの甘い香り。
まるで誘われているかのように感じて、そしてその香りに囚われれば囚われるほど、回数を重ねるごとに口付けの時間は長くなっていく。そうしていつもすべてを奪ってしまいたくなるような衝動に駆られてしまうのだ。


今こうしている時も、その心地良さに理性がもろくなっていくのが分かる。


腕の中のこいつは今俺の支え無しでは立つ事も出来ずにいる。
細いながらに冒険者でもあるその体は、女のように軽くはなかったが、丁度いい重さを俺に感じさせていた。

月明かりに白く反射する肌。

整えられた顔立ち。

いつもは赤い髪で隠れている右目も今は淡い光の下に晒されていた。

わずかな振動にでもピクリと震える睫は閉じられたままで、薄く紅を刷いたような形の良い唇は浅い呼吸を繰り返す。

俺の胸に顔を寄せるようにして吐き出される吐息の熱。

マントに包まる様にして前でかき集めた布を筋が浮び上がる程握りしめた手は震えていた。





今だったら押せば落ちるかもしれない。
この腕の中に。


そんな考えだけが浮かんでは積み重なっていく。





「…冷たい水の中じゃなくて、ベットの上で熱を冷ますっていう方法もあるんだがな」

「やれるもんならやってみる?……朝冷たくなってるのはあんたの方よ」

盛られた薬に気が付かなかった事に対する苛立ちのせいか、その口調はいつにも増して厳しい。

「したきゃすれば?どうせろくな抵抗も出来ないわ。一回だけすればあんたの気もすむでしょ?そしたらもう二度と私の前に現れないで、声もかけないで……」

体に篭る熱を力任せに押さえながら、眉間に皺を寄せて下から見上げてくる銀と緑のオッドアイ。
それに込められた激情。
声に含まれる怒り。


ぞくりと背筋に電流が走った。





どうしてこいつはこうも、……俺を煽るのがうまいのか。



ぐっと腕に力を入れて上半身を起こさせるようにしてその耳に唇を寄せた。
急に与えられた振動に身を振るわせたネオンから悲鳴のような声が上がり、俺の肩口に体を引き離そうかとするように爪を立てた。

「…ぁっ……」

噛み殺せなかった甘い声が、耳を焼く。
細い白い首筋に歯を立てれば、腕の中の細い体がびくんと跳ねた。
肉食の獣が獲物に歯を立てたような、そんな錯覚を覚えた。

止めろと頭の中で警鐘がなる。

このまますべてを暴いて組み敷けば、こいつは本気で俺を許さないだろう。
だが、それがどうした?それでも構わないんじゃないか?
惚れっぽく、飽き易い。今まで手に入れたものに執着など持った事はない自分だ。
こうして今はこいつに夢中になっても、手に入れてしまえばそれも消える。
どうせ、こいつが大人しく俺に身を任せる事などないのだから。


……無理やりに奪って何が悪い。






飢えていた事を思い出したように、耳朶を噛み体をなぞった。

「……ぅ…んっ……」

目的をもった確かな刺激に、熱を持つ体が耐え切れるはずがない。
堪えきれない熱はネオンに甘い声を上げさせる。
抱き上げたままの不安定な状態で、こいつはそれでも俺に縋り付こうとはしなかった。
震える首筋に顔を埋めるようにして舌先で張りのある肌をなぞっていく。
華の香りは一層強さを増し鼻腔をくすぐる。呼吸を乱すネオンの体の力が抜けるまで、俺は夢中になってその体を嬲っていった。

「……………」

そして最後の仕上げとばかりに口付けようとして上げた顔の先で、うっすら開けていた銀と緑のオッドアイと目が合った。



「……………」



信じていた人間に裏切られたというような、悔しさとそれ以上の悲しみを湛えて俺を睨みつけるように見上げていた。

唇をかんで。罵る事もなく。

熱に浮かされながら、それでもそれに屈する事もなく。
薬でもこいつのプライドを崩す事は出来ないと、そう言わんばかりに。










反則だ。






その目を見た途端腕の力が抜けて、ネオンを下に落した。



「きゃあああああああ!!!!!??」

ばしゃあああん。



盛大な水音を立てて、水柱が上がった。
とっくに泉には着いていたのだ。

泉の端はそんなに水深もない。ここだったら座っていても首が水面から出る深さだった。
案の定すぐに水面から顔を出した麗しの魔術師は、髪から水を盛大に滴らせたまま睨みつけてきた。

「何するのよ!!!腰打ったじゃない!!」

怒り心頭とばかりに、俺に向かって両手で盛大に水を掻き出す。
あえてそれを避けずに、ずぶ濡れになって落ちた髪を掻き揚げながらネオンを見下ろす。

濡れた赤い髪、頬を伝う雫は月の光に輝いて。
激昂している銀と緑の瞳は火花の散った宝石のように見える。

こうして水に濡れても、その姿はやはり綺麗だと思った。


「……あっちの木が立ってる所で火を起こしてるから、気がすんだら来いよ」

濡れて重くなった上着を脱いで絞って、泉の反対側にある2本の木に向かって歩き出した。





堪ったもんじゃない。

ちっと舌打ちして、腹立たしさを隠す事もなく歩く。



あの存在そのものが俺にとっては媚薬のようなものだ。
あの香りも、体も、形にもならない視線までも使って俺を誘う。

信用してないと言っておきながら、出来るもんならやってみろと人を煽り。
煽られてやれば裏切られたと俺を攻め立てる。

それなのに本人だけがその狡さに気がついていないどころか、無意識にやっているのだ。




振り回されている方としては、まったく堪ったもんじゃない。







水をかぶって風に晒された頭は、まだ冷える事無く熱でくらくらとしていた。


口が悪くて凶暴で、気高く美しい獲物。

今まで関係を持った人間と同じように、何も考えずに貪り尽くすように抱いてそれだけで満足なんて出来るわけがない。
あいつの事を知れば知るほど、こっちがその手の中に落ちて行くような錯覚まで覚える。
それなのに呆れた事にこうして振り回されても、そんな自分を無様だとも思わないのだ。

あいつを前にしてこの不思議と沸き立つ感情は、まるでゲームのような錯覚すら覚えさせて俺を楽しませた。



不正で手に入れるなんてそんなもったいない真似できるはずが無い。









お前も俺と同じように感じているんじゃないか?
なぁ、……ネオン。









月は変わらず、時折揺れる水面を冷たく照らしていた。


俺はまだ華の香りが残る唇を、味わうようにゆっくりと嘗めた。














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ガイアさん視点でした。
この話はHPでやった第一回アンケート「媚薬を飲ませてみたいキャラ」の結果発表を受けて書いたものです。堂々第一位おめでとうネオンさん!!
「嬉しくないわよ!」なんて叫びが聞こえてきそうですが、気にしなーい。アンケートに協力してくれた皆様、お楽しみ頂けましたでしょうか?

「素でいちゃついてる二人」というお言葉を頂いた事があるのですが、まったく持ってその通りだと思ったトナミでした。




トナミミナト拝








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