そこは時間が無い世界だった。
闇の中には自分以外の音が無い、
自分の足で歩いて7歩で端から端までいけるほど小さな部屋で、子供は息を殺して横たわっていた。
物音を立てると隣の部屋から壁を殴られるから。
もし相手の機嫌が悪ければやってきて暴行される。
下部から押し上げられるような異物感に涙を堪えながら体が震わせていた。
子供はただ我慢するしか出来なかった。
ここには毛布一枚しかなかったから。
具合が悪くても、薬や優しい手もここには何もない。その事をよくわかっていたから。

そしてこの暗闇が永遠に続けば良いと思っていた。
ここに光射す時、それはとても怖い時間の始まりなのだから。








LOVE DISTRUST 3









「時雨の馬鹿!!!お前なんか大嫌いだ!!!!!この甲斐性なし!!!×××野郎!!!」
「人聞きの悪い事をいうな!大体お前が・・・」
「もういい!聞きたくない!」

殴りプリの皐月はリビングでお茶を飲みながら、今日も今日とてこのアフォップルの派手な痴話げんかをなんともなしに聞いていた。
(どうでもいいが伏字使うような発言は控えてほしいわ。こっちは花も恥らう乙女なんだけどなぁ)
やがて外から玄関を荒々しく開けて入ってきたのは青髪を短く刈ったモンクの青年。名前を東雲という。
怒りだけじゃない何かに顔を真っ赤にしていた。
「うあ、皐月いたんだ」
「相変わらずあんた達は仲が良いのか悪いのかわからないわねぇ」
「あいつが悪い!」
そう一刀両断する東雲は、自分用にお茶を入れて一気に飲む。
「で?今日の喧嘩の原因は?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
呆れた皐月が聞くと、東雲はとたんに耳まで真っ赤になって顔を逸らした。

「こいつが単に逆切れしているだけだ」

続いて入ってきた学者帽にミニグラスのセージ、時雨がそう言って呆れたように腕を組んで閉めたドアに寄りかかる。
とたんに眉間に皺を寄せた東雲に更に言い募った。
「あんなに怯えられてはさすがの俺も手を出せるわけがなかろう」
「怯えてねえって言ってるだろ!ちゃんと気持ち良いって俺も言ってたじゃねぇか!」
「明らかに嫌悪と泣き出す寸前の引きつった顔だったがな。それでも何度も何度も同じことの繰り返しだから、今日こそはと思い先に進めてみればどうだ。お前は悲鳴を上げて気絶した。危く挿し殺したかと思ったぞ」
「皐月の前で変な事言うな!」
痴話げんかの場所が外から家の中に移っただけねと察して、皐月は立ち上がってカップを台所に持っていく。
「私は出かけるから好きにして」
どうせ犬も食わない何とやらなのだ。
元から犬猿の仲だった二人が恋人同士になって早一月。
ただその過程に問題があったから、それが今ごろ浮上してるだけなのだろう。
「お前のその恐怖は俺のせいでもある。無理やり体を開かせたのは俺だからな」
台所からカップを洗う音がするを確認してそう言った時雨に、とたんに東雲は顔を歪ませた。
確かに誤解が元で強姦のごとく抱かれたショックは在るのだと思う。だけど東雲はそれを言われるたびに自分が悪いような気がしてきて余計いたたまれなくなるのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・」
黙り込んだ東雲の腕を掴んで引き寄せようとしたが、それは叶わなかった。

「しーののめ」

やけに明るい声が横から掛かり目の前から東雲が消えた。
声のする方を見てみれば、あまり見慣れない服装をした20台前半くらいの男が東雲を抱き込んでいた。
「師匠!」
驚きに目を見開きながらも表情を明るくさせた東雲が、男をそう呼んだ。
「元気してたかー?ああ、背が伸びて男前になったなぁ。あれから5年も経つんやもん、当たり前か〜」
「師匠何時帰ってきたんだよ!しかもなんだよそれ!チャンピオンになったの!?うわ、すげーっ」
東雲が明るく笑う。それに反比例するように機嫌が下降して行く時雨は、ようやくと言った感じで口を開いた。
「東雲」
「ん?」
すっかり時雨の事を忘れていた東雲は、ああと気がついて時雨に男を紹介する。
「えーと、俺が教会の孤児院にいた時にすっげー世話になった人。あの時はモンクだったんだー」
「風見(かざみ)いいますー」
片手を上げて上がったり下がったりの妙なイントネーションで自己紹介する男を、据えた目で見る。
5年前というと時雨と東雲が会う前の話なのだろう。
そういえば、東雲から目標にしているというモンクがいるという話を前に聞いた事があった。
始めて見たその人間のコンボ阿修羅に憧れてモンクになったと。
この男がそうかと時雨は眉をひそめる。
さっきからこの男の悪戯な目をしている中に、値踏みされているものを感じていたのだ。
「えーと、こっちは同じギルドの時雨」
それだけかとちらりと東雲を冷たい目で見るが、恋人はまだそれ以上を言いたくないらしく小さく手を合わせて首をすくめた。
「師匠、話があるからさ。ちょっと外でよう。外」
あきらかに機嫌の悪い時雨がこれ以上何か言い出す前に東雲は逃亡を図ることにした。
出て玄関をちらりと見るが、どうやら追いかけてくる気はないらしいと東雲はほっとする。
後でフォローしないとなぁと思っていると、横からくつくつと笑い声がする。
「師匠?」
「時雨?だっけ?あいつ面白いなぁ。殺されるか思った」
「ええっ!?」
「東雲。あいつとはただのギルメンとちゃうんやろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
昔から感のいい人だとは思っていたが、ずばり言われて東雲は黙り込んでしまった。
目的地も無いままに歩く二人の間に沈黙がある。
「・・・・・・ごめん」
「なんで謝るんや。そういうのは悪い癖やっていうたろ?」
「でもさ」
「好きなんやろ?あいつの事。・・・・恋人なんやろ?」
「・・・・・・・・・・・・・うん」
教会で一番世話になった人だった。
字も一般常識も世界の事も皆この人から聞いて覚えた。
時雨との関係が一般常識と違うものだという事も自覚している。
言ったら嫌われるかもしれないと思って言えなかった。
本当に兄のように思ってきた人だったのだ。
知らず指先が震えていた。
「なら堂々としとったらええんや。なんやちょっと寂しいけどなぁ。・・・・何時までも子供やないもんな」
そんな東雲の心境がわかっているのだろう。風見は東雲の青い髪にぽんぽんと軽く触れた。
並ぶと東雲の方がわずかに低い。
不安そうに見上げる東雲の腕を掴んで、道の端まで連れて来る。
そして口元に手を添えて急に小声で風見が言った。
「それでお前ら夜うまくいってないんか?」
いや、さっき大声で喧嘩しとったの全部聞こえててな、と心配する風見に東雲は全身を真っ赤にして今度こそ二の句が繋げなくなっていた。






「ふんふん。で?それからどうなったんや」
「もう勘弁して・・・・師匠・・・」

酒場のテーブルで突っ伏している東雲は何も酔っ払っているわけではない。
いや、いっそ酔っ払いたかった。しかしそれは目の前の人物と炭酸ジュースが許してくれない。
風見が時雨との事を根堀葉堀聞いてくるので、それにすでに泣きそうな心境の東雲だった。
ここに来て1時間。
とうとう付き合うきっかけとなった事まで吐かされてしまった。
そこでうまく誤魔化しきれず強姦されたという所で風見が眉をひそめただけが、二人の誤解があっての事だと慌てて弁明すると納得してくれたようだった。
そこで東雲は急に表情を暗くする。
「でももうダメかもしんない・・・飽きられてるかも。きっと慣れてないからだと思って頑張ってみたけど、すげー怖くて」
「そりゃ、あの男が下手なんやないか?」
「時雨は気持ちよくしてくれるんだって!うまいと思うし、優しいし!」
「ほぉ〜」
意味ありげに笑う風見に気がつかない東雲は俯いたままだんだん肩を落としていく。
「それに昨日は絶対大丈夫だって思ったんだ。・・・・なのにさ、入れられたとたん目の前が真っ暗になって氷みたいに体が強張って叫んだ・・・・・一度無理やりでされてるくらいで情けないよな・・・」
その事を思い出したのか、肩がブルリと震えた。それを風見は黙ってみていた。
「こんなんじゃ、いつか・・・・」
時雨も嫌になるかもしれないと言いかけて、言えなかった。
言ったらそれが本当になりそうで。
恐ろしくてたまらなかった。
さっきの時雨の言葉が脳裏から離れない。
『お前のその恐怖は俺のせいでもある』とそう言ってたあの言葉。
時雨が付き合ってくれてるのは、あの事を悪いと思ってくれているだけなのだと思う。
好きだと言ってくれるのも、今だけなのかもしれない。
だって元から仲が良いとはいえなかった。むしろ喧嘩ばかりしてきたのだ。
気難しい時雨の気が変わらないとは言い切れない。

「あいつの何処が好きなんや。見たところ気難しそうで、扱いづらそうな男や無いか」

悪い方に考え込んでいるのを察してか、風見が東雲に話を振る。
「・・・・・・・あー・・・」
それはまったくもって否定できない。
しかしそれをあの短時間で見切ってしまった風見の人間観察能力に完敗だった。
「確かにさぁ、頑固で冷たくてなにか言えばむかつくことしか言わないし、喧嘩ばかりしてきたんだけど。でも・・・・・あいつは嘘つかないからさ。誤魔化しとか絶対しない奴だから・・・・信頼してる」
「・・・・・・・・・・・・・・・そか」
暫くの沈黙の後、なにやら考えていた風見は東雲に聞いた。
「東雲。付き合いだしてから何か変な事は無かったか?」
「変な事?・・・・いや、特に何も・・・」
「ん」
わずかに顎を引く仕草になにやら感じて、東雲は身を乗り出す。
「なんだよ、師匠。気になるじゃん」
「いや、子供の頃お前暗い所とかすごい苦手だったしなぁと思って。今みたいに泣きそうな顔してて。電気消したら寝れなくなってた。今は大丈夫なんか?」
「あ、あれは師匠が怖い話をするから寝れなくなったんだろっ」
「そだっけか?」
「絶対そう!・・・・ま、音の無い夜は確かに苦手だけどさ。普通だろ?それくらい」
「そやな。普通やな」
風見はそう言って笑った。






夜も深けようとした頃。
こつんと窓を叩く音に時雨は振り返った。
だが、窓の向こうには青い髪のモンクの姿はなく、変わりに陽気そうな風見の姿があった。それを見たとたん苦虫を潰したような顔になる。
鍵の掛かってる窓の向こうで、風見が親指を立てて外に出てこいという仕草をする。
話があるのだろう。
・・・・・・だとしたら当然東雲の事しかない。
時雨は読んでいた本を閉じて、外に出た。
話があるのはこちらとて同じだ。
「おばんですー。東雲や無くて悪かったね。狩りに引っ張りまわしてあいつ今くたくたで寝てるとこやから、今夜はこっち来れへんと思うよ」
「何の用だ」
何故お前からそんな事を聞かねばならんのだと不遜な態度で腕を組む。
あからさまな時雨に、風見は片眉を上げて笑っただけだった。
「ほんま、お前ちょっとは愛想身につけたほうがええんやないか?・・・・・ああ、そんなにらまんでもええよ。俺がちょっと用件有るだけやから。それ終わったら帰るから」
「早く言え」
「あのな?」
「・・・・・・・・・・・・」
風見はふいに笑顔を消した。
ぞくっと背筋に走るものを感じて時雨は黙って組んでいた腕を解いた。
まるで高レベルのモンスターを相手にしているかのプレッシャーだった。

「黙ってあいつと別れるか、今ここで死ぬか選べや」

昼間聞いたものとは違う低い声。
その言葉が本気だといわんばかりに、発せられた気が青白い玉になりその体の周囲を囲む。
東雲のものとは比べ物にならないほど強い光を発するそれ。
5メートルは離れているというのに、それを感じさせないプレッシャーに背筋が冷たくなる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
とっさに戦術をいくつか考えるも、どう戦っても勝てはしないだろうなと思った。
だがそれを顔には出さずに、口元を上げて笑った。

「どっちも断る」

「そか」

風見の気配が消えたと思った。
目が追いつかない。ファイヤーウォールすら張れなかった。
気がついた時には風見はすぐ目の前にいた。とっさに持っていた本を体の前にかざす。
次いで来た激しい衝撃に時雨は息を詰めた。
勢いがついたままに地面をすべる足に力を込めて踏ん張る。片足を付く事はプライドが許さなかった。
「本を盾にしたか。ええ反応や」
見たことの無い技はきっとチャンピオンにのみ受け継がれているという高等技だろう。
話だけは聞いた事がある。
伝承者は自分達のような冒険者とはランクから違う。
まだ世界にそういるわけも無いから、技に関しても情報が少ない。
しかし相手にはこっちの技は殆ど把握されている。
明らかに不利だと思う。
ゆっくりと近寄ってくる風見に東雲は距離を保つように同じだけ下がる。
とっさに本で衝撃を和らげたといってもしびれたように腕の感覚が無くなっていたのだ。
これが回復するまでにはかなり時間がかかりそうだった。
次は出来ないだろう。
「火の壁張らへんでいいの?危なくなったら大抵の魔術師は張るんやと思ってたんだけどな〜。俺容赦せぇへんよ?」
「気にするな」
今張っても意味はない。避けるか、飛び越えるか知らないがこの男はあっさりと超えてくるだろう。
ファイヤーウォールを張るにも限界がある。
張るなら彼が飛び込んでくる瞬間に合わせて。それがうまく行けばの話だが。
この男の動きは速すぎた。さすが伝承者かと感心するほどに。
だがこっちもすでにオートスペルは唱えてある。
背中を見せて逃げるという考えはもとより無かった。
足掻くだけは足掻いてみるかと不敵に笑った。
それを見た風見は、なぜか立ち止まった。
「あいつを育てたんは俺や。文字も書ききらん、話も出来ん、なんも知らんあいつの世話をずっとしてきた。2年も一緒にいたんや。弟のように思ってた。・・・なのに今更他の男に取られていくのが我慢できんとは思わんかったわ」
「・・・・それでもお前は一度あいつから離れた。弟のようにと思っていたのなら尚更、過去の男が未練がましくあいつに下心を持つな」
こんな時だというのに、時雨はそう言い放った。
だがそれに風見は鋭い視線で射抜く。
「お前はあいつの事なんも知らんやないか。知らんからあいつの傷を抉ったんやろ。何で、東雲を抱いたっ。何で思い出させるような事するんや!!!」
「・・・・・何を言ってる」
「東雲も知らん事や・・・・。何も覚えとらん。それでええんや。お前がいなくなればきっと東雲は泣くやろうけど・・・・、今度こそ俺が支えになってやる。お前は心配せんでええ」
隙無く、流れるように構えられたその型に、時雨は知らずに息を呑んだ。
東雲が最も好んでいる技だから、その型は何度も見た。
獅子の牙剥く幻覚が、殺気となって全身に襲ってくる。
指一本として動かす事が出来なかった。
時雨の脳裏に死という言葉が自然と浮かんだ。

「もう一度聞く。・・・・・黙って東雲と別れるか、今ここで死ぬか選べや」

剣の先に立っているかのような危い均衡は、時雨の返答で崩れるのだろう。
時雨は黙って風見を見た。

「・・・・・断る。あいつを泣かせるわけにはいかない」

その瞬間風が牙を剥いた。

「阿修羅覇王拳」

場違いなほど静かな声だと思った。
この殺気に感覚が研ぎ澄まされていたからそう聞こえただけなのかもしれない。
「―――――――――っ」
襲ってきた衝撃に時雨は目を閉じ・・・・・・。

「・・・・・・・・・・・・・・・・?」

吹き飛ばされる程の衝撃を受け、身を屈めた時雨はすぐに止んだ風に顔を上げた。
人の悪い笑みを浮かべた風見が、頭の上で腕を組んで立っていた。
一歩たりとも動かずに。
さっきまでの殺気など一欠けらも無い。
気孔も消えていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・試したな・・・・」

どういうことかと考えて、それが一番的確な気がした。
まんざら外れていなかったらしく、風見がにぃっと笑った。

「東雲がお前の事本気で好きや無かったら、こんなことせんでもとっとと殺しといたわ。お前が逃げても・・・やけどな」

頭の上で組んでいた腕を下ろすと、おもむろに時雨の腹に一発拳を入れた。
油断してしまっていた為にまともにくらう。体を折り歯を食いしばる時雨の肩を叩いた。
「これくらいは、許しといてな。まぁ、娘をやる父親の心境という奴や」
からからと笑う風見にいっそ殺意がこもった。
「しかしあかんなぁ・・・どうするかなぁ」
玄関先の段差になっている部分に腰を下ろす。
なにやら途方にくれているようだった。
「あかん。俺じゃええ考えが浮かばん」
「何がだ」
吐き気を堪えて時雨は風見を見下ろす。
「お前にプラトニック貫け言うても聞かんやろうしなぁ。何より東雲が不安に思ってるのはそこなんやし」
「だから何の話だ」
風見はぶつぶつ言いながら、何やら考えているようだった。
「・・・・・お前東雲の過去の事、どのくらい知ってる?」
「・・・・・親に捨てられた後、親戚の家を転々としたと。・・・いや、まて。東雲は教会の孤児院にいたと言ったな。それから引き取られたのか?」
「・・・・・・正確には保護されたんや。タレコミがあってな。教会の名のもとに、俺がリーダーで踏み込んで助けた」
あまり動かない教会が正式に保護をする事は珍しい。
それだけでそれが大事だったのだと知れる。
「そんなにひどかったのか?」
「東雲だけや無かったからな・・・そこにいたのは」
そこまで言ってまた黙る。
その意味合いと現状、さっきの風見の言葉で時雨は嫌な予感に眼を細めた。
「もう一度聞かせてくれ。お前、東雲の事どう思ってる?」
「愛してる」
「それだけじゃあいつは壊れるかも知れへん。何があろうとも助けになるか?守ってくれるか?・・・・好きでいられるか?」
「愚問だ」
はっきりと言い切った時雨に、風見は羨ましそうな目を向けた。
そして一息ついて視線をはっきり合わせた。
「・・・・・あいつな最後に行った親戚の家で体売らされてた」
それを聞いても時雨は微動だにもしなかった。
黙って風見を見ていた。
「正式に公認うけてるような場所や無い。もぐりの最悪な所や。光も刺さない、何もない小部屋に閉じ込められてたんや。助けた時は衰弱しきっていて死んでるもんやと思った。青痣が体中にあって、怪我してるとこも手当てなんてしないままやから膿んでて。その時東雲は12歳やった。でもな・・・体が小さくて、軽くて・・・・8歳にも見えんかったわ」
そのときの感触を思い出しているのか、両手を広げていた。それはとても小さい体を抱き上げているように見えた。
一瞬その腕の中に小さい頃の東雲の姿が見えた。
「教会で保護しても、もう大丈夫だからと何度言っても1月何もしゃべらへんかった。毛布かぶって怯えるように部屋の端で丸くなってて・・・時折『ごめんなさい』って震える小さい声で呟くくらいで。でもな、だんだん良くなってる気はしてた。ちょっとづつでも懐いてくれてる気はしてたしな。でもそんな時、どっかの教会の馬鹿があいつに手を出した。ああ・・・そんな目はせんでええ。そいつは俺が潰しといたわ」
何でもないように言って、頭を抱える。
「俺はどう言うかしらんけど、被害者は同じような状況に陥りやすいとか医者が言うとったんや」
「心的外傷後ストレス障害 」
「それやそれ。お前頭ええな。・・・・でもな・・・相手は12歳の子供や。未来がある。これ以上辛い目にあわせたくなかった。やから俺は・・・・そん時の記憶を消してしまった方がええと思ったんや」
「しかし、今現在特定の記憶の一部を消したりすること法律で禁止されている」
できないとは言わない。
セージの上位職であるプロフェッサーが使う『マインドブレーカー』はモンスターだけでなく人にも効く。
特に一般人に使えばその衝撃に自我崩壊や記憶喪失をもたらすことが知られていた。だから国はその使用を法律できつく縛ったのだ。
「そやな。俺もあの時はひやひやしたわ。消すのは知り合いに頼んだんやけど本当にうまくいくのか保障は無い。でも、もしまっさらな赤ん坊にまで戻っても、俺が育てたるって誓ってたからな。」
何でも出来たとあっさり呟いた。
「でも人の人生や。一応本人にも聞いたんやぞ?消してもええかって。そしたらな・・・・あいつ・・・・『ありがとう、お兄ちゃん』って言ったんや・・・・・・・・・あかんわ。その言葉もな俺が教えたもんやったんやぞ。でもな、そこで言わせるためや無かったんや・・・・もう・・・・俺が泣きとおてたまらんかった」
思い出したのか鼻をすすって開いた手の平を握り締める。
「結果はうまくいった・・・と思う。知り合いから言わせれば比較的新しい記憶は全部砕いたと。でも人にするのはあいつも初めてでな。砕いた破片が残る可能性はあるといわれた。似たような場面に出くわせば、その破片が出てくる事もあるかもしれんってな」
それは、虐待の記憶を思い出すと言う事か。
だが、一度強姦という形で東雲を抱いた事のある時雨だ。
「思い出すと言うのなら、とっくに思い出していてもおかしくない。その破片はもう無いのではないか?」
「いや。・・・・あいつ入れられるの異常に嫌がっとるんやろ?・・・・・客のために何らかの異物を常に入れられっぱなしにされとったからかもしれん」
「・・・・・・」
そこまでくると吐き気がした。その頃の東雲を囲っていた人物全員を殴り殺したくなる。
「・・・・多分一度経験した事によってその事を思い出しかけてるんやと思う。できるなら同じ状況にせぇへん方がいい。5年前の時点で俺がわかってたのは暗闇と無音状態と密室状態をひどく怖がる。静かな時に立つ大きな音も」
「・・・・・・・・・・・・・」
あの日、東雲を無理に抱いたのはまだ昼間で光があった。
闇を怖がると言うのは見知らぬ人間がいるのかもしれないという恐怖なのだとしたら。時雨だと自覚していたのがまだよかったのだろうか。
それに中に出されるのをひどく嫌がっていた。
『いっそ殺せよ!』と叫んでいた姿と、展望島でぼんやりとしていた姿が交互に思い出される。
あの時、時雨は東雲に島から突き落とされたのだ。
あれは明らかに正気では無かった。
もしあれが過去を思い出したくない上での自己防衛本能だとしたら。

「欠片は確かに存在するのだな・・・・」

それはまるで爆弾のように。
ひそかに東雲の中にあるのだ。
危いバランスを察してぞっとした。

「できれば思い出させんでやって欲しい。思い出しても何の利益も無い。辛いだけや。無理かも知れんとは俺もわかってる。それは抱くなと言ってるも同じや。しかもそれを東雲自身が望んどらん。でもな、あいつがそう思うんはお前に嫌われたくないからやろ?」
「・・・・・・・・・・・・」
時雨は黙っていた。
黙って目を閉じた。
やがて風見は立ち上がる。そして時雨と向かいあった。

「・・・・・あいつの事、かわいがってやってくれな。人間不信で不安定な所があるけど、素直なええ子やから」

すれ違い様にそう言って、去ろうとするのを時雨が呼び止めた。
「一つ聞きたい」
「・・・・・・・・・」
返事の変わりに立ち止まる。
「お前はなぜ東雲から離れた?赤子に戻ってもと誓っていたのならなおさら」
風見は振り返らなかった。ただ黙って前を見ていた。
「・・・・・俺、割と節操なしやから。もうあいつの事、傷つけたくなかった。慕ってくれれば慕ってくれるほど・・・・離れていかないといかんかった。思い出させるような真似だけは・・死んでも出来んかったから。・・・・・でもお前の言う通りや。俺は逃げた。・・・・・・・それにな、あいつから記憶を奪ったと言う罪は消えへん。俺は神様や無い。一生許されへん事や」
でもまさか、男にとられるとは思わんかったんやけどなぁ、と苦笑する。
「・・・東雲を裏切ったら、殺すで?」
まんざら冗談でもないようにそれだけ言って隣家に消える。

時雨は自分の家に入った。
玄関は静かで電気がついていない。
閉めたドアに寄りかかって再び目を閉じた。
そして真の暗闇に意識を漂わせた。









「しーぐーれっ」
「っ!!!!!!!????」
突然上から圧迫されて走った激痛に時雨は目が覚めた。
自分の上、布団の更に上でなにやら不審人物が動いていた。
上に飛び乗られたのだとわかって、その狼藉者の正体がわかった。
こんな事をするのは一人しか・・・・・いや、一人で十分すぎるほどだった。
「貴様・・・・・・・っ」
「おはよーん。もう朝だぞー。どっか飯食いに行かねー?」
布団の上を捲る様にして覗きこんで来た東雲に、時雨は寝起きとは思えないほど冷たい目でぎろりと睨む。
布団を戻しつつすごすごとまた下がっていく東雲を乗せたまま毛布をかぶった。
「一人で行って来い。俺はまだ寝る」
「なんだよ、また朝まで本読んでたのか?いい加減昼夜逆転の生活止めた方がよくねー?」
そう言って東雲は時雨を揺する。
最近暗い顔をしていたのが嘘のように今日は明るい。
きっと昨日風見と狩りで暴れ回った余韻だろう。
いいストレス発散にはなったらしい。風見は嫌いだが、そこら辺は感謝してやるかなと思う。
「・・・・・・・・あの男はどうした」
「師匠?朝早くに帰ったよ。もうちょっといて欲しかったんだけどさ、なんか用があるんだって言ってた。また来るって」
「・・・・そうか」
その用とやらが本当なのかわからなかったが、きっと近いうちにまた顔をあわせることにはなるのだろう。
そう思ったらうんざりした。
「お前が人の興味持つのって・・・珍しいな」
なんだか面白くなさそうに、明らかに何らかの心配をしている東雲に時雨はいっそ寒気がした。
「・・・・・・・・・・・・東雲・・・・その誤解だけは止めろ。本気で止めろ」
「お、俺何も言ってないじゃん!」
「顔に出てるんだ。単純だからな、お前は」
単純じゃねー!と叫びつつばしばしと毛布ごしに叩かれた。
どうあってもかまって欲しいらしい。
時雨は諦めて毛布から片腕だけを出して、手招きした。
「???」
東雲はベットに座り込んだまま前屈みになりながら顔を近づける。すると腕を掴まれて蟻地獄よろしく布団の中に引きずり込まれた。
「わっ・・・・え?」
「大人しくしろ」
ぎゅっと抱きしめられて東雲は焦った。
「・・・・・ちょっと待った、朝だぞ朝!お前何やって・・・っ」
「・・・・・・ほぉ・・・。何されると思ったんだ?」
「は?」
時雨は東雲を抱きしめながら意地悪気ににやりと笑う。
それに自分の誤解を察して東雲は真っ赤になった。
「ナンデモゴザイマセンっ!」
「っ」
腕の中で動いた東雲の腕が昨日殴られたところに当たって時雨は眉をしかめた。
「・・・・・?お前・・・もしかしてどっか怪我してる?」
「気にするな・・・。寝てれば直る」
「気にするに決まってるだろっ。ちょっと見せろよ!」
「いいんだ」
体を起こそうとする東雲を抱えなおす。
そしてぽんぽんと安心させるようにその背中を叩いた。
風見から受けた傷を東雲に触れて欲しくなかった。
東雲はまだ不満げだったが、動くことも出来ず黙っていた。
「・・・・・服、皺になるんだけど・・・・」
「後でアイロンかけてやる」
「まだ朝飯食ってないんだけど」
「起きたら食いに行くのだろう?」
「狩り行こうかなとか思ってて」
「昼から付き合ってやる・・・・・・良いから寝てろ」
「そんな簡単に寝れるわけねーじゃん」
「・・・・・・だったらなんか話してろ。寝物語に聞いてやる」
そういう時雨はもう目蓋を落としていた。
「話って言ってもさ・・・・俺一人で何話せって?」
「・・・・・・そうだな・・・・・子供の頃の話がいい」
「えー・・・・。言ってもつまらないぞ」
「つまらん位がちょうどいい」
「人の人生をっ、つまらんって言うな、お前は!」
自分で言っといて反論する東雲の頭を撫でる。反論すればするだけ話は長くなるからだ。
撫でられて案の定黙り込んだ東雲は、んーとしばらく考えながら
「俺気がついたら親戚の家に引き取られてたんだ・・・・。といっても家族の一員と言うわけじゃなくって・・・・金の掛からない使用人みたいな?・・・ま、そこもあんまり裕福な家じゃなくてさ・・・。役に立たないって思ったのか何か理由つけられて追い出された。何件か渡り歩いたなぁ。いい人もいたんだぞ。5番目のうちのばぁちゃんとか好きだった。お菓子とかくれてさ。優しくて、孫みたいにかわいがってくれた。でも・・・死んじゃったんだけどさ。それから教会に引き取られた。俺その時の記憶とかないんだけど・・・・6番目の親戚の家が火事になって俺だけ生き残ったんだってさ。・・・火事のショックで記憶を無くしたんだろうって師匠は言ってた」
「・・・・・そうか」
もう寝たのかと思ったが、帰ってきた返事に嬉しくなって東雲は時雨を見上げた。
「時雨は?・・・・どんな子供だった?親とかいるのか?」
考えてみれば一度たりとも時雨のプライベートを聞いた事が無かった。いい機会だからと意気込む東雲に、時雨はちょっと片眉を上げた。
「・・・・・・親は共に事故で死んだ」
「・・・・・・・」
聞いてはいけないことだったかと意気消沈する東雲のわかりやすい反応に時雨は噴出しそうになるのを堪えた。あまりに想像通りで。
「愛した人と死ねたのなら、それは幸せな事だろう」
「え?」
「子供から見てもそう思えた。俺の親は駆け落ちして一緒になったからな」
「・・・・か、駆け落ちっ?」
ぎょっとして思わず叫んでしまった東雲に、時雨も薄目を開けて面白そうに口元を歪めた。
「親戚類からは一切縁を切られていた。おかげで二人が先の事を考えて貯めてくれていた金はそのまま俺の手元に残った。お前に比べたらたいした苦労はしなかったな」
「・・・・・お前一人だったのか?兄弟は?」
「兄弟はいなかった。自分達が死んだら俺は一人で放り出される。親はその事をわかっていたからか、俺は早くに冒険者の道を進められていた。・・・・事故があったのはお前に会う1月前くらいか」
目を見張る東雲を時雨は抱きしめた。
「お前には結構救われていたのかもしれんな。俺が落ち込む間もないくらいに振り回してくれたのだから」
「う・・・・・」
その頃の自分の所業を思い出しながらそれはいいことだったのだろうかと悩む東雲に笑みを浮かべた。
だが東雲はそれに気がつかないままボソボソと呟く。
「・・・・・ぜんぜんお前そんな感じなかったじゃん・・・俺知らないまま傷つけたりしたんじゃないか?」
東雲と言う人物は、意外と気遣う人間なのだと思う。
だからなのかよくこういう風に聞いてくる。
だがそれは、自分が嫌われているのでないかと恐れているところからも来ているのかもしれないと思った。
だから時雨も率直に答えた。
「隠していたからな・・・・。知らなくて当然だ。別に傷つけられた覚えも無い。あったとしてもお前を殴って忘れたんだろう」
東雲はそれを信じてくれたようだった。
「・・・・・・・・お前って本当プライド高いよな。・・・・絶対弱み見せないしな」
「褒め言葉として受け取っておく。・・・・・ああ、・・・でもそうだな」
「何?」
なにやら思い出したように呟く時雨に東雲が顔を上げる。
とたんに振ってきたキスに目を見張った。
熱いものが歯を割って入り込んでくる。
「・・・・んっ・・・・・・」
されっぱなしが悔しくて、自分からも答えるが最後には時雨に主導権を取られてしまう。
東雲の服を握っていた手が 時折震える。
上がった息までからめとられるような錯覚を覚えたとき、ようやく唇が離れていった。
「・・・・・・・・・・」
潤んだ目で見上げる東雲の頬を満足げに撫でる。
「一人しか見えない所などはやはり血筋なのだろうな・・・・」
何を言われてるのか理解した東雲は真っ赤になったまま何も言えずにいた。
「駆け落ちでもするか」
「・・・・・マスタから?」
『ホモはいかん!』と未だに反対し続けているマスタの事を思い出して、東雲は噴出すように笑い出した。
「無論」
ギルドから逃げて駆け落ちと言うのは何だか緊迫感が無い。
それに二人とも元よりその気は無かった。ただの冗談だ。
それでも、東雲は時雨の気持ちが嬉しかった。
二人しかいない空間がとても暖かく感じた。
ここで無理やりに抱かれた事のある記憶はあるけども怖くは無かった。
むしろ安心できた。



・・・・・・・・・幸せだと、思った。









…AND CONTINUE?











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恋愛不信者シリーズ3段。
東雲の昔の男(違う)登場。
東雲がどうも乙女思考に陥ってる様子です・・・・。

東雲の過去辺りがかなり書いてて辛かったりもした上にうちではこういう話自体珍しいので(と自分では思っている)、どうしようか迷ったのですが・・・・ですがっ。時雨なら大丈夫だろうっと責任を彼に全部押し付ける事に。
がんばれ〜(他人事)








トナミミナト拝






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