「トキ殿。プロに行くなら帰りにトイレの紙を買ってきてはくれぬか」
「ああ、そういえばもうすぐなくなりそうでしたっけ。わかりました」

トキ殿と何気なく交わした会話に、その場にいた者達が固まった。
その空気の変化に拙者と、トキ殿は、はっとする。

「・・・・・・・・何でヨタカの家のトイレの紙の事情をトキが知ってる上にそんなもん買いに行かせるの?」

ダンサーのカモメ殿の言葉に誤魔化しの言葉が思い浮かばなかったのは不覚としか言いようが無い。


結果、同居生活が始まってから2日目にしてたまり場の皆にそのことがばれてしまったのだった。











最高の片想い









「・・・・・・・・すまん・・・・・」
よもや自分の口から同居をばらしてしまうとは。
何たる不覚と拙者は落ち込んだ。
「いえ・・・僕のせいでもあるわけですし。いいじゃないですか、別に隠そうと思っていたわけではないですから」
トキ殿は苦笑交じりでありながらもそう言った。

たしかにトキ殿が言うように進んで隠そうと話していたわけではなかったのだが、そうと知ったカモメ殿のあのキラキラした表情と矢継ぎ早の質問に晒されたトキ殿には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
『いつから同居してたの!?』から始まった質問はだんだん熱がこもり、終いには笑みを堪えきれないような表情で声を潜めながら耳元で『で、どっちが下?』などと訳のわからない質問をされていた。

「二人とも二階に住んでいるのだがなぁ・・・・。下の階にどんな人間が住んでいるのかということなのだろうか。いや、カモメ殿はどっちがと言っていたが。・・・・・・他に意味があったのだろうか、トキ殿はわかるか?」

「・・・・・・・・・さぁ?」

感情の見えない表情でトキ殿はニコニコと笑っている。
カモメ殿の質問から逃げるように、トキ殿のワープポータルに拙者も乗ったのだが、落ち着いて考えてもカモメ殿の質問の半分も理解できない。
「まぁ、いいじゃありませんか。せっかくだし夕飯でも食べて帰りましょう」
「そうでござるなぁ」
住んでいるところに台所はあるものの、二人して料理などしない性質だったので拙者たちはよく外食をする。
プロンテラの町並みから外れるところで雑貨店に入り、あれやこれや購入してから馴染みの酒場に入った。
夕暮れの時間帯に人が入りだしたばかりで奥の席が空いていたことを幸いにそこに座り、店員に注文する。
「ヨタカもたまにはどうですか?」
早速来たヴァーミリオン・ザ・ビーチを進められて拙者は両手を上げた。
「いや、拙者遠慮しておく。どうにも酒には酔えない体質で・・・・・酒に申し訳ない」
毒薬を扱う者たるもの、自分の毒で倒れるようなことがあっては本末転倒。よってシーフ時代から少しずつ体内に毒を摂取し続けた結果、薬やアルコールがほとんど利かなくなった。
酒はいくら飲んでも酔うことが無く、ザルどころか枠といった具合だった。
トキ殿は気分を害した様子もなく頷くと、自分だけすいませんと言ってアルコールに口をつける。
食事をしながらの会話は楽しいもので、会話の種も尽きることが無い。
「カモメさんは酔うと面白いですよ。笑う上戸な上に絡み上戸なんです」
「さもありなんでござるな」
「シシギとは飲んだことあります?」
「一度だけだが、・・・・・・・拙者その一度だけで懲りたでござるよ」
「あーやられちゃったんですね。シシギの『露店相場講義』。あれが始まると長いんですよねー」
「おかげで一時いらんものの相場まで詳しくなったでござる・・・」
役にはたったのだが一晩中続いた講義を思い出して深いため息をつく。そんな拙者の姿にトキ殿は噴出すように笑った。
トキ殿は酒が入ると少し陽気になる。我を失うほど飲まない彼は、それでも酒気を帯びて頬を赤く染めている。
細められた瞳がなんとも色っぽいというか・・・・・いや、男にそのような表現は不適切だろうが。
内心ちょっと落ち着かなくなった拙者の背後で、急にビンが激しく割れる音がした。一瞬静まり返った酒場に、怒声が響く。
「何だと!てめぇもういっぺん言ってみろ!」
「おい止めろ」
拙者たちの背後の席で冒険者らしき騎士がアルケミストの胸倉を掴んで立ち上がる。仲間が騎士を止めようとするが、憤った騎士は聞く耳を持たない。
丁度トキ殿の横になったため、背中を押されるようになってテーブルに腕をついたトキ殿を自分の方へ引き寄せた。
その時、血気盛んな騎士がアルケミストを殴った。
「きゃあ!」
女の悲鳴が上がり場が騒然となった。
だが、それだけではすまなかった。殴られて倒れたアルケミストが持っていたのだろう、なにやらガラスが割れるような音がしてピンクや緑や青色の煙が立ち上った。
「っ!?」
近くにいた拙者は思わず手で花と口を押さえてそれを吸わないようにした。
狭い酒場に一気に煙が充満してあちこちで咳き込んだり怒声を上げる声が響く。椅子や机が倒れる音まで混じり、混乱状態に陥ったそこで拙者は急いで近くの窓を開けた。
新鮮な空気が入る代わりに怪しげな煙が外に排出される。
前も見えなかった煙が薄くなった後には、何故だか酔っ払って倒れたかのような人々の群れ。
原因となった騎士やアルケミストまで眼を回して気を失っていた。
立っているものは数少なく、拙者はもたれるように机に突っ伏しているトキ殿を見て慌ててその肩をゆすった。
「トキ殿!大丈夫でござるか?」
「・・・・・・・・・・・う・・・・・・・」
さっきまで赤く染まっていた顔色が今は青白くなっている。意識が朦朧としているのか小さく唸るだけのトキ殿に拙者は血の気が引いた。
煙の元になった粉末が机の上に舞い落ちているのを指で掬い取って舌先だけで舐める。
元は製薬の材料だったのだろう。それらの名前が脳裏に浮かぶが、ぱっとでてこないものもあった。混ざっているものの中に毒はないが・・・・・数種類を大量に吸い込めばどんな悪影響を及ぼすことになるか。
とにかくここにいてはよくなるものもよくならない。拙者は力ないトキ殿の身体を救い上げるように抱きかかえると、原因となった騎士とアルケミストの頭をしっかり踏みつけて酒場を出た。
「トキ殿・・・・・トキ殿、しっかりするでござる・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
トキ殿は完全に気を失ったらしい。
しかし呼吸はいまだに苦しそうで、時折咳き込んだ。青白い額には汗が滲んでいて、それだけでも拙者を慌てさせるには十分だった。
もしかしたら躊躇っている余裕など無いのかもしれない。拙者はトキ殿に負担にならないように身体の動きを最小限にしながらも走った。プロンテラの裏通りに入り、人気の無い細い通りの、建物の間にひっそりとある地下に通じる階段を下りた。
電気など通っていないそこは突き当たりとも勘違いしそうなところであったが、拙者はその壁、もといドアの前でトキ殿を抱えなおして古めかしい玄関を叩いた。
「・・・・・・・・フク爺っ。いるでござるかっ?フク爺!」
どんどんと何度も叩くと、ドアの真ん中の様子見の窓が開く。そこに見えた眼光鋭い眼に漸く安堵した。
眼光が細められ、ちっと舌打ちする音が聞こえた。
「・・・・・・・怒鳴るんじゃねぇよ・・・・・・ひよっこが」
すぐに開けられたドアに滑り込むように身を入れる。
拙者の肩までしかない身長の髭を生やした老人が拙者の腕の中のトキ殿を見て眼を細めた。
「ヨタカ。ここに部外者は・・・・」
「迷惑はかけない。頼む。しばしトキ殿を診てやってもらえぬか。さっき酒場で怪しげな煙を吸ってしまってから様子がおかしいのでござる」
「・・・・・・・・・・・・」
フク爺は目を細めた。そうすると眼が殆ど無いように見える。
蝋燭が数本立つだけの薄暗い部屋の中は壁際にさまざまな薬品の入った瓶が並べられた棚があり、この老人の職を物語る。アサシンギルド御用達の毒薬を扱う老人は中央の机に向かって顎をしゃくる。
拙者はトキ殿をそこに寝かせた。トキ殿はまだ青白い顔をしていて、唇が震えている。
フク爺はトキ殿の服の匂いをかいで眉を顰めた。
「・・・・・・・手当たり次第に薬剤を混ぜやがったって感じだな・・・・。美学がねェ・・・・・」
「倒れた拍子に割れたらしく・・・・」
「ふん」
フク爺は棚から数種類の瓶を取り、ビーカーの中に中身を無造作に注いだ。差し出されたそれを拙者は受け取る。
「害のないものも混ぜればおかしな効果をもつこともある。命まで取るもんじゃないが、数日はめまいと吐き気がやまねぇだろうよ。
とりあえずそれは気付けだ。それ飲ませて裏から出て行け」
フク爺は入ってきた入り口とは別の棚の影にある小さなドアを見る。しかしこの状態のトキ殿を動かすことに戸惑いがあって躊躇う拙者にフク爺はしわがれた声で言った。

「もうすぐハヤブサが来ることになっとる。顔を合わせたくは無かろう」

「・・・・・・・・・・すまない」
その名に拙者は一瞬心臓を掴まれたかのような思いがした。そして、機密事項にもなるそのことを教えてくれたフク爺に礼を言った。ここに来た時のようにトキ殿を抱えようとして手に持ったビーカーが邪魔になることに気が付いた。
しかし今は悠長に飲ませている時間は無い。
拙者はそれを煽るように口に含み、トキ殿の顎を摘んで口移しでトキ殿に注ぎ込んだ。
わずかにトキ殿の眉間に皺が寄る。その喉が鳴るのを確かめて口を離す。
「ありがとう。フク爺。礼は必ず」
「そう思うならもうここにゃ来るな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「昔のよしみで入れてはやったが、今はお前も部外者。二度とここへは来るな」
「・・・・・・・・・・・・・・」
その声は冷たく拒絶されているかのようだった。だけど、それがこの老人の優しさなのだとわかる。
「ありがとう・・・・・」
もう一度礼をいって今度こそ背を向けてトキ殿を抱えて裏口をくぐった。
人目の無い通りを闇にまぎれるように走る。


この時、拙者はトキ殿のことを気にしすぎていて、不覚にもその視線に気が付かなかった。
月を背負うように建物の屋根に立ち自分達を見下ろす影は赤いマフラーを風に靡かせていた。
闇に溶け込む灰紫の衣。
月に溶け込む黄金の髪。そして冷たい氷蒼の瞳。

「・・・・・・・・・見つけた・・・・」

結論から言えば・・・・・・・・フク爺の忠告は無駄に終わった。
薄く微笑むその口元は刀のごとく鋭利で不吉そのもので、これから先の出来事を暗示するかのようだった。






カプラ嬢にゲッフェンに送ってもらい、家に帰ってきた拙者は、腕の中のトキ殿を自分のベットに下ろした。
2日前に来たばかりのトキ殿のベットはまだ入っておらず、彼はソファで寝ていたのだが今日はさすがにそこで寝かせるわけには行かなかった。
布団をかけてやって様子を見る。
さっきまでとくらべて幾分か呼吸が楽になったようで唇に赤みがさしてきた。
「・・・・・・・・・・・・・・もう、大丈夫でござるかな」
フク爺の薬が効いてきたらしい。
かつての師に心の中で礼を言う。
拙者はベットの脇に椅子を持ってきて背凭れを抱えるように座った。トキ殿に何かあればすぐわかるように今夜は寝ずの番をしようと思ったのだ。
拙者はかつて製薬を学んだことがあるゆえに薬の怖さを知っていた。
フク爺が大丈夫と言ったからには本当に大丈夫なのだろうが、それでもトキ殿が苦んでいるかもしれないと思ったら眠れるものも眠れない。
さらさらの黒髪をなで上げると日に焼けていない額が現れる。そこに手を当てると少し熱があるようだった。
冷たい拙者の手が気持ち良いのか眉間に小さく寄っていた皺が伸びる。それを見てしまったら離そうと思っても離しきれずにいた。
掌で感じるトキ殿の熱は心地よかった。

「・・・・・・・・・・・・」

かつて、自分はこうして他人の体温を感じたことがあった。

『もうすぐハヤブサが来ることになっとる。顔を合わせたくは無かろう』

フク爺の声が脳裏に浮かぶ。

ハヤブサ。
かつて、誰よりも自分のことを知り、そして誰よりも近かった存在。
あの瞬間まで、二人離れる日が来ることなど考えたことも無かった。

『許さない・・・っ。絶対に殺してやる・・・っ!』

別れの日に聞いた怒りと殺意に満ちた声はまだ耳に残っている。
結果彼を裏切ってしまった拙者のことをハヤブサは今も許しはしないだろう。

だが、そうわかっててその手を離したことを今、後悔することだけはすまい。
あの日のことは自分達にとって必要なことだったのだと。そう思うから。

「・・・・・・・・・・」

物思いにふけていた拙者はトキ殿の手が動いていたことに気が付かなかった。
額に乗せていた手にトキ殿の手が重なる。
「トキ殿。・・・・目が覚めたでござるか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
うっすらと眼を開けたトキ殿に安堵して笑うと、トキ殿は何故だか目を細めた。また具合が悪くなったのかと身を乗り出す拙者に、トキ殿は小さく呟いた。

「どうして・・・泣いてるんですか・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

眼を見張る拙者の顔にはゴブリン仮面がつけられている。だから彼に表情が判るわけが無い。
それに・・・・自分は涙など流していないのに。

「・・・・・・・・・言いたくないなら・・・・・言わなくていいから・・・・・」

トキ殿のかすれた声は小さくも拙者の耳を打つ。

「・・・・・・・・・・・」

「僕に、少しだけでもいいから・・・・寄りかかってくださいね・・・・」

取られた手から伝わる温もり。
そこから広がっていく優しい温かさに身が震えた。
つんっと鼻にきて、目頭が熱くなる。
「拙者。泣いてなどおらんよ」
「・・・・・・・・・・」
「本当でござるよ」
拙者はトキ殿の額から手を離す。トキ殿の手がシーツの上に力なく落ちた。もしかしたらフク爺の薬の中に睡眠薬も入っていたのかもしれない。
「トキ殿の勘違いでござる」
肩当てを外して身軽になるとトキ殿が寝ているベットに潜り込んだ。
「辛いのはトキ殿でござろう。恐らく酒と薬のせいで気分が悪くなっているのではござらんか。気付けの薬を飲ませたから明日の朝には多少楽になっているはず。拙者見ているでござるから、だから・・・・・・トキ殿こそ安心して寝てくだされ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
布団の中で邪魔になった仮面を外してベットの外に転がす。
トキ殿は薬が効いているのか眠たそうに目を瞬かせながら腕の上に当たる拙者の髪に指を潜り込ませて掻き抱くようにすると深く深呼吸をするようにして眠った。

『僕に、少しだけでもいいから・・・・寄りかかってくださいね・・・・』

・・・・・・トキ殿の纏う空気は暖かく安心する。
頼りがいがあると言うのだろうか。この間など不覚にもベンチで寄りかかるように眠ってしまった。
一人ではありえないこの感覚は好みの食べ物のようにもっとほしくなる。
今もまるで聖域の中にいるかのような安堵感に満たされて、その反面背中に刺さるかのような冷たい痛みを感じた。
背に感じる幻視痛はけして癒されることは無く、温もりを感じるたびにひどく疼く。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

本当はこの温もりをもらう資格すら自分には無いのだけども。
こうしてすがるようなことをしてはいけないとわかってはいたのだけども。

でも、今は。
今だけは。


5年前、冒険者証と仮面の代わりに置いてきた過去から逃げるように、拙者はトキ殿を抱きしめて眼を閉じた。














+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


あり大抵に言えば昔の男登場でしょうか。












Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!