世界が赤く染まるかのようだった。
いや、確かにあの時、俺の世界は赤い闇に閉ざされたのだ。

目の前でヨタカの身体が傾ぐ。銀の髪が月の光に反射して軌跡を描き、俺の目の前でその姿はオアシスの中に消えた。
激しい水音もなにもかも聞こえなかった。
全身が総毛立つ中で、ただ、意識はヨタカにだけあった。

「ヨタカぁぁぁぁ!!!!!!」

月明かりで反射する深い闇のような泉はヨタカの姿を隠しきった。
叫んでも返事は返ってこなかった。
今引き上げればまだ助かるかもしれない。
それだけを思って飛び込もうとした俺の腕を死神が掴んだ。

「離せっ!!!!離せよ!!!!」

死神が嗤う。
その笑みは今人を斬ったとは思えないほど無機質だった。
死神の視線は俺の頭からそれこそつま先まで舐めるようになぞっていった。
ぞくっと背筋に冷たいものが走る。
みぞおちに激しい衝撃を受けて一瞬で意識がとんだ。薄れゆく意識の中で殴られたのだとわかった。
崩れる身体を受け止めた死神の手が俺の背中を撫でていく。

「・・・・・・・うん。おもしろい素材だ・・・・・」

その言葉がなにを意味するかなんて、その時の俺は欠片もわかってなかった。
今までどれだけ自分が優しい世界に包まれていたのか俺はその後思い知ることになる。












最高の片想い〜番外・嗤う死神〜












どのくらい気を失っていたのか。
気が付いたら狭い部屋のベットの上に寝かされていた。
「っ」
驚いたのは自分が全裸だったことだ。慌てて周りを見るが自分が着ていた服はなかった。

「目が覚めたか」
「!?」

どこか楽しそうな声に驚いたのは、誰もいないと思っていた部屋に彼が立っていたからだ。たしかに薄暗い部屋だったが、それでも人が5、6人入ればいっぱいになりそうなこんな部屋で人の気配を見落とすわけが無い。
だとしたらアサシンのスキルなのだろうか。まだ未熟な自分では彼の気配も感じることが出来ないのか。
だが、この時の俺は恐れより怒りが先走った。
ベットから飛び降りて拳で死神を殴ろうとした。だが、その拳は空を切り、足払いされて倒れたのは自分のほうだった。
「―――-っ!!!!」
すぐに起き上がり、また飛び掛るが狭い部屋にもかかわらず死神は器用に避けた。そして埒が明かないと思ったのか、俺の腕を掴んでベットに投げ飛ばした。

「素材はいいが、まだまだ・・・」

「・・・・ここから出せ・・・・・」

死神の声など聞こえていなかった。ただ、胸を焦がすほどの怒りと殺意が自分をかきたてていた。

「出てどうする?」

「ヨタカを助けに行くんだ!!!まだ生きているかもしれない!!!今も俺を待ってるかもしれないのにっ!!!」

「死んだよ」

「・・・・・・・・・っ!!!!死んでない!!!!」

「本当はお前にもわかってるだろう。お前の片割れは死んだよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・っ!!!!!」

俺はうつ伏せになったままシーツを掴んで顔を上げた。歯を食いしばり死神を睨んだ。
そんなわけがない。
ヨタカは生きている。絶対生きてる。
死んだなんて、信じない。

「離せよ・・・・っ!殺してやる・・!!!!!!」

怒りで震える歯が鳴る。目頭が熱くなっても、目を見開き続けた。

「お前を殺して俺はヨタカを助けに行くんだ!!!!」

「へぇ・・・・、私を殺してくれるのか」

死神は俺の顎を指ですくい、そしてそのまま頬を滑らせた。体温を感じない、ひどく冷たい指だった。
「そうか・・・・・・お前が私を殺してくれるのか・・・・」
死神は、漆黒の闇のような目を細めた。
「・・・・・・・・・・・・・っ」
出来るわけがないとからかわれているのだと、その時の俺は思った。
死神はなぜかこの時夢見るように見ていた。

俺ではない、『何か』を。

「・・・・・ならば磨け」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「私を刺せるほどに鋭利に、切り裂けるほどに強く・・・・・お前という剣が私の息の根を止めると言うのなら」
「・・・・・っ!!!!?」
死神の手が俺の身体をなぞっていく。
「・・・い・・・・いやだ・・・・っ何・・・っ!!!!!」
その時の俺は性の知識が殆どなかった。人との関わりを持たなかったための弊害だった。
だけど、身体に触れる人の手が気持ち悪くて、恐ろしかった。
冷たい手は身体の筋肉をなぞり、腱を押さえて返る弾力を確かめる。だけどそれだけで済む話ではなかった。

「お前は自分自身をまだ知らない。私もいまだお前を知らない。この身体はいまだ未発達ゆえに、これから先の磨き次第では名剣にもくず鉄にもなりえる。・・・・力の入っていない身体を見ても意味が無かった・・・・・」

「・・・・・・っ!!!?」

自分を組み敷く身体がまるで闇のヴェールのようだった。
闇に飲み込まれていく錯覚にこみ上げてきた悲鳴は、空気を引きつらせるだけだった。

「・・・・・っ」

死神の手が全身を闇に染めていく。

「・・・・いやだ・・・はなせ・・・っ・・・・・・ひっ・・・・・・あ・・・・っ!!!」

・・・・・・ヨタカ。

「・・・・ヨ・・・・」

強張る身体に闇が染み込むように触れる。
引きつる声を恐怖が塞ぐ。

・・・・いやだ。
助けて。
助けて・・・・っ。

これは何。
この手は。
この腕は。
身体を裂く痛みは。

「ああああああああああ!!!!!」

死神の冷たい身体から体温を奪われていく。
身体が冷たくて仕方なかった。
身体を裂くものの正体を知ってなおさら恐慌状態に陥る。
シーツを掴んで逃げようとしても、死神の手はそれを許さなかった。
頬を伝うものが落ちて俺は泣いているのだとやっとわかった。一度自覚した涙は後から後から流れ落ちてシーツを濡らした。

「あっ・・・・・・・う・・・・あ・・・・っ」

怖いよ。
苦しいよ。
痛いよ。

助けて。


ヨタカ、助けて・・・・・っ!!!




『ハヤブサ・・・・』



「ヨ・・・っ」


一瞬だけ意識が白くなる。だが、伸ばした手は掴まれる事はなかった。
死神の手が、俺の腕を手折ってシーツに縫いとめる。


・・・・・・その時、俺はやっとわかった。


ヨタカはもういない。
もうこの世にいない。
だって、今ここに来てくれないから。

もう、自分を守ってくれる存在はいなくなったのだ。

「・・・・・・・・・・」

そして俺は・・・・今、死んでもヨタカと一緒の場所には逝けない。
だって、俺は死神に汚されたから。

汚いこの身体では、ヨタカに会いに逝けない。

「―――――――っ!!!!」

おざなりに触れられた性器への刺激に初めて吐精した俺の、脱力した身体の中から死神はずるりと抜けた。
この時も、それからも、死神は確認と調整だと言って俺の身体を抱いたが、彼は一度として達することは無かった。意味が無いことだと、死神は言った。
終わった後、俺が向ける殺意を確認して満足そうに笑い、そして一つ二つ技や鍛錬の仕方を教えていく。それを俺がマスターすればまた次の技を。
まさしく剣を研ぐように、鉄を打つように、彼は俺を無機質に抱き続けた。

それでも、この時初めて身体を裂かれた衝撃と痛みは俺を苛んでいた。
こみ上げる吐き気にベットから顔を出して床に胃液を吐く。焼けるような喉の痛みに嗚咽が重なって、呼吸すらままならないまま咳き込んだ。
やっと呼吸が落ち着いてきても心の中の激流は収まらない。
うつ伏せになり身じろぎ一つ出来ない身体で、シーツを掴んだ。

「・・・・・・・てやる・・・」

呟いた声は掠れ、自分でも人の声ではないように聞こえた。
だからこそ呪いの言葉に相応しく聞こえた。

「・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・必ず・・・お前を殺してやる・・・・っ!!!」

死神の顔は見えなかった。
ただ、機嫌のよさそうな気配だけが伝わってきた。




それからの俺は死神を殺すためだけに腕を磨いてきた。だが、アサシンになり、アサシンクロスになっても死神の息の根を止めることも、その腕から逃れることもできなかった。
それに彼のことを調べれば調べるほどわからないことばかりが浮かんできた。

死神はアサシンギルドに正式に所属していない男だった。
純粋な影の暗殺者として動くため、冒険者として登録されるのは都合が悪かったのだろう。
アサシンの服を着ているのはその方が動きやすいというそれだけの理由だった。

そしてこの男には名前が無いのだという。
「恐らく昔はあったのだろうがね・・・・。忘れてしまった」
そんなふざけたことを言った。
だから俺はずっとこの男のことを死神と言っていた。死神もそれでいいと笑った。

死神は俺を一週間だけあの部屋で生活をさせたあと、どこかに閉じ込めることはしなかった。
俺がどんな町や外の世界にいても、たまに満月の夜にやってきては調整といって俺を抱いた。
俺にとってそれは自分の無力さと、殺意を新たにする時だった。
この死神に情が無いことが唯一の救いだった。

「他の誰かと寝ようとは思わない方がいい。私は自分の武器を誰かと共有する気はないからね。変な癖がついても困る」

ベットの上に男の死体が転がっていた。アサシンギルドでも位が上になる男だった。死神のことを調べる俺に、情報と引き換えに俺の身体を要求してきた男。
気持ち悪くてしかたないこの行為を進んでやろうとは思わない。今回だってこの死神の情報をつかめると思ったから一度だけだと自分を納得させようとしたのに・・・・・・、寸前で死神が現れ一瞬で死体が転がった。
この男の目はどこまで広いのだろうと歯噛みする。もうこういった取引も出来まい。
どういうことなのかはわからないが、ギルドはこの男を暗殺者として利用はしているがその行動を縛ることはなかった。今回のこともきっと罰則など与えられることは無い。・・・・この男はそれが許されているのだ。
そして今回のことで死神に近いものとして俺の名前もギルドの中に知れ渡るだろう。進んで死を選ぶものなどいない。
腹立たしさを感じながらも、それでも一方で安堵する自分もいた。セックスという行為は嫌悪感だけしかなかった。
この先自分がやるとしたら、嫌がらせか・・・・その人物を心底汚したい時だけだろう。

「お前は私も知らない私のことを知りたいのだね」

死神は死体を蹴りころがし、ベットの上の俺の横に膝を突いた。血を被ったのは俺だけじゃなく、死神もそうだった。この男は避けれる血もわざと被ることがある。まるで冷たい身体をそれで温めるかのように。

「・・・・・・・あんたの言っている意味がわからねぇ」

死神はギルドの守り神だという者がいた。
その一方で、凄惨たる歴史の裏側で呪われ永遠の時を生きる者だという奴もいた。
昔からこの死神のような存在はいたらしい。代々受け継がれるものなのかと俺は思っていた。
だが、その姿を見たものは殆どいなくても、それでも誰もがその強さを知っていた。
濡れ羽色の髪に黒曜石のような瞳。
その姿は若くも見えるし年老いた老人のように見えることもある。
死神といえば誰もが納得し、その存在を忌避した。

「死ねよ」

「自分では死ねないから、お前を育てているんだよ」

「首でもつれよ。剣で喉を掻き切れ」

「お前がすればいい」

なんでもないように言う言葉にカッとして、枕の下に隠していたアサシンダガーを掴んで死神の喉元を掻き切ろうとした。だが、その腕は死神の冷たい手に掴まれた。
「まだ、足りない・・・・・」
それでも、掴まれる手の位置は前よりも近くなっている。死神は微笑み、俺の手をひねるとダガーを掴んで俺の喉に当てた。死神の手のような冷たい刃に、俺は動けずに死神を睨んだ。

「・・・・・・・危機感が足りない。・・・・・・・ハヤブサ。お前・・・いつまでも私がお前に付き合えるとは思っていないかい・・・?」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「お前は私が磨き上げた刃だ。誰よりも強く、しなやかで美しい。私の最高傑作だ。だが、・・・・・・必要な時に切れなければ唯のナマクラ」

喉に食い込む刃は、皮膚を切ることはない。だが、死神が剣を引けば俺の命は無い。

「お前は、後一年で二十歳になるね・・・・・。いい機会だ、お前がそれまでに私を殺せなければ私がお前を壊そう」

死神はうっすらと微笑んでいた。だからこそ、その言葉が本気なのだとわかった。


「壊されたくなければ、私を殺しなさい」


この男は俺のことを人とは思っていなかった。
『殺す』ではなく、『壊す』といったその言葉からわかる。
だが、それでいい。
俺はこの男を殺す刃でいい。ヨタカの仇を討てるなら、俺なんて人でなくていい。どうなってもいい。

闇が俺を覆う。
また身の凍るような時間が始まる。
だが、俺は死神から目を逸らさなかった。この手で死神を殺す術を身につけるため必要なことなのだと自分に言い聞かせた。
4年前から変わらない殺意だけが熱となってこの胸を焦がす。俺が死神に屈せずにいるのはこの殺意のおかげだった。

「必ず・・・殺してやる・・・・・っ」

「ああ・・・・・」


死神は嗤う。


そして俺ではない何かを見てうっとりと目を細めた。

今ならその『何か』がわかる。


この男は死にたいのだ。

あの世に恋焦がれているのだ。





俺をこんな闇の中に落とした死神は・・・・・・・・・・ヒトを嫌悪し、死を何よりも愛していた。














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