衣擦れの音とベットが軋む音、そして互いの間で交わされる吐息と短い会話。 泣かせてやるとハワードは言った。 胸に支える思いが少しでも楽になるようにと。 強引な男だから、こっちもそうなのだろうと思っていたエレメスは、だがしかし思いの外ハワードが優しく体の線を辿って手と舌で愛撫するのに羞恥を感じた。 一つ一つ確認するように何度もなぞられる傷跡。 それはエレメスの身体に残る古傷で、大きなものも小さなものも見つけては丁寧に舌で舐められていた。 まるで、できたばかりの傷を舐めているかのようで落ち着かない。 とうとう根を上げてハワードの名を呼んだ。 「どうした?」 わかっているのだろうにハワードはニヤニヤと笑いながらエレメスの顔を覗き込む。 その間に自分のシャツとズボンのベルトを取ってベットの下に落とした。 エレメスの方は上着は片方の肩に引っかかっているだけで、下もいつの間にか腰あたりまで下げられている。 「・・・・・・・」 するならさっさとしろ。 じらすな。 言いたいことはそういうことなのだが、言えば言ったでこの男を喜ばせるだけなのだ。 「・・・・・ずいぶん余裕だな」 変わりにそういうと、ハワードは「そうでもない」と言ってエレメスの手を掴んで自分の股間に当てた。 その熱さに思わず指先が逃げたエレメスをハワードは楽しそうに見下ろす。 薄く頬を赤らめているエレメスの耳元に唇を寄せて囁く。 「悪い。お前の体の傷を覚えておきたいと思っただけだ。・・・・これも明日で消えてしまうだろうから」 その言葉にエレメスは驚いて顔を向ける。 ハワードはエレメスに覆いかぶさったまま器用にエレメスのズボンを下ろしていった。 「最初で最後かと思うと、な」 転生というのは、体そのものを作り変えてしまうのだという。 体の組織すら変えてしまうということは、そういうことなのだとエレメスは改めて思い知った。 そして急にこの体に残った傷が気になって腕を上げて内側に付いた傷を見る。 この傷は昔背伸びして言った西兄貴村でハイオークの斧でつけられたものだった。 肩にある火傷の跡は天津でカブキ忍者につけられたもの。あの時は師匠がカブキ忍者を倒して事なきを得たのだ。 他にもたくさんある。傷一つ一つが自分の思い出や歴史のようなものだった。 これが消えてしまうのかと思うと妙な寂寥感が沸いた。 ハワードはそんなエレメスの腕を掴んで肩の火傷を舐める。 「覚えておく。お前の傷全部・・・・、だからすべてを俺に見せろ」 「・・・・・・・・・・・」 エレメスの心の内すらも見せろとそう言われている気がした。 なんという殺し文句。 エレメスはごくっと喉を鳴らし、そして、掴まれていた腕の力を抜いた。 LOOP〜絆・エレメス〜 「・・・・あっ・・・・・・・う・・・・・・」 二人の男は卑猥な音を立てながら絡み合っていた。 散々焦らして恥ずかしがらせながら一度抜いたエレメスのものはまだ熱を失わずハワードの手に収まっていた。濡れたそこはぬちぬちといやらしい音を立てて、尚更エレメスを煽る。なのに達しそうになるととたんに刺激がやむのだ。ずっと生殺しのような状態に置かれて、エレメスは肌を上気させたまま過ぎた快楽に身悶えた。 もとよりハワードはしつこいくらいに愛撫する手を抜かなかった。 ねちっこいくらいに与えられるだけの愛撫にエレメスは羞恥を感じながらどろどろに溶かされていた。 達しそうなままに焦らされ続けて、もうどうにでもしてくれと全てを投げ出してしまいそうになったまま、それでもギリギリのところで堪えてしまうのは必要以上に感じている姿を見せたくない一心からだった。だがそれが余計にハワードを煽るのだとエレメスは気がついていない。 脱力するエレメスの片方の足を自分の肩にひっかけた。自然ともう片足も開くように上がる。 「っ」 絶句するエレメスは足を広げられたまま開かされた状態に耳まで赤くなった。 それにハワードは一度楽しそうにエレメスの髪を撫でて目蓋にキスをしてまだ濡れていないことをそれで確かめた。 エレメスは涙だけではなく声も押し殺そうとする。それはまだ理性があるからだ。 苦痛で泣かせる気はない。どうせなら自分の名前を呼びながらがいい。 ハワードは片手でその細い腰を撫でながら、潤滑油を馴染ませた指でまだ誰も触れたことの無い場所を撫でて、くぷりとそこに指をもぐりこませた。 「・・・っ」 抵抗はあったものの、そこは濡れた指先だけを飲み込んだ。きゅっと締まるそこに、ハワードは自分を入れたときの事を想像してしまい、ぞくっと背筋に快楽が走る。 くちくちといやらしい音を立てながら出入りする指を増やしていく。 エレメスは痛みこそ訴えないものの、感じた事の無い感覚に眉間に皺が寄ったまま目をきつく閉じていた。丹念に解かれた体とぼやけた頭でもその異物感は恐怖としか写らない。 「エレメス・・・・」 「・・・・・」 気がまぎれるようにキスをすると噛み付かれるように返された。 だが、慣らしていくうちに痛みが引いたのかエレメスの体から徐々に力が抜ける。むず痒いのか時々きゅっと蕾が窄まる。 時折びくっと足を震わせ、頬を上気させて苦しそうな表情を浮かべていたエレメスは新たな刺激に戸惑いを浮かべる。それはひどく頼りなく、柘榴色の瞳ですがるような視線を向けてくる。それがどんなにハワードを煽るかわからないで。 ぐいっと乱暴なくらいに奥まで指を差し込んでかき回す。 「ひあっ」 ぐちっと音を立てたそこ以上に過剰なほどに反応を返したエレメスは、突然電流のように流れた感覚に驚いてのけぞってシーツを掴む。 だがそれ以上に、吸い付くような内壁の熱さを知ってしまったハワードが我慢できなかった。 「エレメス・・・・目を開けろ」 「・・・・・・?」 「俺の名前を呼んで」 「・・・・・?・・・・ハワード・・・?」 そう。 誰がお前を抱いているのかちゃんとわかってるな? 早急に抜かれた指の代わりに、熱い塊が押し入ろうとする。 「あっ・・・・・や・・・・っ・・・・!」 片足を胸につくまで曲げさせられて、その上にハワードが体重をかける。 さんざんに愛撫された体は、それでも痛みに過敏に反応した。強張ってハワードを締め出そうとするそこにハワードは無理に押し入った。 「いっ――――――!」 いくら濡らして慣らしたとはいえ、痛みを感じないはずが無い。だが、悲鳴を堪えてハワードの背中に爪を立てた。 半分まで入ったところでハワードが内部の抵抗に進めなくなる。 だが中の熱さに眩暈がしそうだった。 「・・・・・い・・・っあっ」 「力・・・・抜け・・・っ・・・・」 ハワードはエレメスの中に入りたい一身で、だが無意識にエレメスのものを手で抜きながら、肩だの強張りが抜けた一瞬を見逃さずに最期まで入れた。 「―――――――!!!!」 声にならないエレメスの悲鳴があがる。いつもと違うかすれたような高めの声が余計色っぽくて、痛みを堪えるその姿までも艶やかにハワードを煽る。ハワードは息を荒げながら、エレメスの体から力が抜けるまで待った。 青紫の髪の向こうから覗く咎めるような恨みがましい目は、だが、ハワードの心臓から肩の辺りまである刺青を見つけて瞬いた。 棘のある蔦のような刺青を震える指でそっとなぞる。 「・・・・これも・・・・」 明日にはなくなるのかとその目が惜しむように言う。 呼吸を整えるために痛みから気をそらそうとするエレメスに、ハワードも答える。 「・・・・たぶんな。これ彫ったのはブラックスミスになってからだし」 指先でハワードの刺青をなぞっていく。 まるで指先に覚えさせようとでもしているかのように。 子供のような仕草に笑みを零しながらエレメスの髪に口付けを落とす。 「・・・・・・・・・・あ・・・・」 内臓を押し上げられるような気持ち悪さと痛みに朦朧としながら肩で息をするエレメスの額に掛かる前髪をかきあげてやりながら、夢中になって唇を重ねた。 「ん・・・・」 無意識に答えるエレメスの舌に自分のそれを絡ませながら、ゆっくり腰を揺すった。 口の中で悲鳴が上がるが無視して貪る。そしてエレメスの前を手でさするとひくっと体が跳ねる。反射で体の力が抜けると、中の締め付けも少しだけ和らいだ。ハワードはそれにふうっと息を吐きながら手を動かした。さすがに食いちぎられそうなそこにハワードも痛みを感じていたのだ。 無駄なところなどない細身の体は自分が乱暴に扱えば壊れてしまいそうだと思った。 だからもっと優しくしようと思っていたのに。 それなのに獲物を見つけた猛獣のような凶暴さがハワードを襲う。 それを頭から押さえ込むのにエレメスのキスを強請った。 「っ」 エレメスの体がびくっとはねるのは、快楽よりも痛みを感じることを恐れているかのようで。だから、中の物を動かすことなく揺するだけにして、様子を見た。そうしながらエレメスのものを擦る事も忘れない。 徐々に息が上がるエレメスの体から力が抜ける。 「ハワ・・・・ド・・・」 いつもと違う舌っ足らずに呼ぶ声が愛しい。うっすらとあけた柘榴の瞳がハワードを見て切なげに細められるのを見て、ハワードの中で辛うじてあった自制心が音を立ててぶち切れた。 「うあっ・・・・・・あっ!」 急に抉るように穿ちだしたハワードに非難めいた声をあげる。 「ハワードっ」 繋がったところから肉が擦れる音が立ちそれが一層激しくなる。逃げようとするエレメスを押さえ込んで、無我夢中で腰を動かした。やがてエレメスの声に甘いものが含まれるようになり、時折痙攣するように足先を振るわせる。 「な・・・・なんで・・・これっ・・・・・」 体の奥に火がついたような錯覚を覚えた。そこを抉られるたびにハワードの手の中のものがびくびくっと震えた。 痛みはあるのにそれ以上の感覚に頭がおかしくなりそうだった。 気持ちいいと思うより、戸惑いの方が大きい。だが、激しくなる責めに逃げることは出来ない。エレメスは背中をそらして堪えるしかない。 「んっ・・・・・ああっ!」 肩で息をするハワードは夢中になってエレメスの体を貪る。まるで獣だ。 視界に黒い影が覆いかぶさっているかのように見えて余計恐怖を感じた。 この影はいったいなんだ。 「エレメスっ」 ハワードがエレメスの髪に指を入れて顔を起こさせた。 それにエレメスは目の前にある影がハワードだと認識してその唇に食いつくように唇を合わせた。 だが互いに荒れた息ですぐに離れてしまう。それが惜しくて差し出した舌にハワードも赤いそれを差し出して絡めた。 互いにひどく敏感な場所で感じる相手の熱を夢中で貪る。 熱で溶けてしまいそうな気さえした。 擦れあう箇所から感じる熱と電流を流されているかのような快楽にエレメスは耐えていた声を抑える事が出来なくなった。 悲鳴のように上げられた声。 中の熱さと体の中でずっと渦巻いていた欲情と混じってエレメスの目から一粒の雫をこぼした。 「んっああああっ」 蜜を滴らせていたエレメスのものが、ハワードの腹にこすり付けられて白い蜜を飛ばして達したと同時に、体の奥でハワードのものが欲情を叩きつけたのを感じて体を強張らせた。びくびくっと中で痙攣するものを直に感じて、つま先まで甘い痺れが伝っていく。 「・・・・・あ・・・・」 散々焦らされてようやく与えられた解放に気を飛ばしながらぐったりとベットに沈む。それにハワードが荒い息をしながらエレメスの髪に顔を埋めた。 達した後のけだるい達成感に身を浸しながら、肩で息をして覆いかぶさってくるハワードに頬を寄せて、かかる重みに体の力を抜いた。 「・・・・・・・・・・ん」 不思議と体だけでなく心が満たされたかのように感じた。 千の言葉をつむがれるよりもこうして肌を合わせることの方が何倍も相手のことを理解できるような気がした。 距離が近くなるといえばいいのだろうか。 エレメスは体を投げ出したままぼんやりとハワードを見上げた。 汗で髪を額に貼り付けたハワードが相好を崩してエレメスを見る。乱れた息を吐く唇がちゅっと音を立ててキスを落とす。 「エレメス・・・・」 「・・・・・・・・」 ハワードからぎゅうっときついくらいに抱きしめられて、名前を呼ばれる。 それだけの事がこんなに心地いいものだとは思いもしなかった。 守られているかのような感覚は何故だか安心できた。 エレメスは何故だか目頭が熱くなる。 一粒だけ落ちた涙の跡をまた雫が辿る。 どうして泣いているのかわからないが、不安は無かった。 自分で意識して流すものとは違う、この涙はどういった感情が生み出したものなのだろう。 気が付いたハワードが指で頬を撫でるのをくすぐったく思いながらもそのままにさせていた。 だが、達したというのに一向に抜く気配のないハワードに、エレメスは気だるげに顔を上げた。慣れない体勢での運動に体の節々が痛い。だが、抜くどころか徐々に形を変えつつあるのを感じ取り、びくっと背中に電流のようなものが走った。過敏に反応する内部が、ひくひくと蠢いてさらに無意識にハワードを煽る。 エレメスは信じられないようにハワードを見た。 「ハワード?」 ハワードは何かを企んでいるかのような不敵な笑みを浮かべた。その笑みを見てさーっとエレメスの顔色が悪くなる。 「まさかこれで終わりだなんて思ってないよな?・・・・泣かせてくれってお前も言ったろ?」 楔をうがたれたまま逃げるに逃げられないこの状況に気が遠くなりかけた。 「好きだ、エレメス」 「もういいっ。もう十分だから!・・・・・!!!?」 キスで途切れたエレメスの悲鳴が甘い吐息に変わり、望んだ涙でシーツを濡らす様になるまでそう時間は要らなかった。 頭痛がする。 目蓋が重い。 喉が渇いた。 体の節々が痛い。 それ以上に錘でも乗っているかのようで動かない。 「・・・・・・」 最悪の目覚めに、唸りながら目が覚めたエレメスは外から差す陽光に、すでに日が高いことに気が付いた。 「なっ」 ぎょっとして身体を起こすエレメスは、ここが自分の部屋であることと、裸のままの身体に残された無数の赤い情痕に二度目の衝撃を受けて唖然とする。 枕元に置かれていたアサシンの服と冒険者証、そして一枚のメモを見つけて慌ててそれを掴んで読んだ。 『エレメスへ。 おはよう。皆で狩りに出かけてくる。お前は二日酔いで寝てることにしているから、目が覚めたらギルドチャットすること。ベットの下に水置いてるから喉が渇いたら飲んで。 あなたのハニー ハワードより』 「誰がハニーだぁぁぁ!」 羞恥に顔を真っ赤にして、一瞬でメモをぐしゃっと丸めて壁に投げつける。 それに股関節と人には言えないところが痛み出し、ベットの上で握りこぶしを作って堪える。 じんじんじわじわと痛むそれは間違えようも無く昨夜のことをエレメスに思い出させる。 まるで大波に抱かれているかのようだった。 小さな抵抗すらも飲み込まれて、なすがままに揺さぶられて。 後半はどんな会話があったのか殆ど覚えていない。 過ぎた快楽に自分の涙腺を決壊させてくれたハワードが困ったように涙を舐め取って「かわいいから、泣くのは俺の前だけにしとけ」とかほざいていたとかそういう余計なことは覚えているにも関わらずだ。 もうそれこそ忘れさせて欲しい。 自分からせがんでいた気もするが、そういうことは思い出さない方が自分のためだろう。 最後に見た視界は少し明るくなっていたから、明け方まで睦みあっていた事になる。 通りで体が重いわけだ。 殺意にも似た恨みの念はすべてハワードに向けられている。 こんなに苦しいのもきついのも全部あいつのせいだ。 「・・・・・・・・」 とりあえず痛む喉に水分をと、ベットの下から氷水の入った水差しを見つけて飲んだ。 最初は氷だけだったのだろうそれは冷たくておいしい。 『エレメス。ゴメン・・・・ちょっと行ってくるから』 そういえば夢うつつに頭を撫でられてそんな声を聞いた気がした。あれは夢ではなかったのか。 「・・・・・・・・・・・・・・」 後始末はされていたのでエレメスは裸のままベットからおりる。 砕けそうになった腰を抑えてふらふらと歩く。 そしてさっき投げたメモを拾い、戻ったベットの上で皺を伸ばした。 「・・・・・・・・・・・・・・ふん」 それを放り出してベットに転がる。 涙を流した所為なのか、あれだけ揺れていた心がひどく落ち着いているのがわかる。 不思議だなと思った。 後悔していない自分が、ひどく不思議だ。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 ああ、そうか。 している時、欠片もセイレンのことを思い出す余裕も無かった。 ハワードのことだけ考えられていたからか。 そう思って目を閉じると不思議とあの腕に抱かれているような気がした。 とりあえず服が着れるようになってからギルドチャットで連絡を取ったエレメスは、二日酔いという理由を信じた仲間達から心配され誰も見ていないというのに実を縮こまらせて「大丈夫だから」と返した。 ハワードが妙に浮かれているように感じたのが腹が立つ。 セシルの話ではすでにマーガレッタの冒険者証が光り、ハワードもあと少しで上がるのだという。 「カトリが言うには、ヴァルキリーに会うのにジュノーに行かないといけないらしいの。だからエレメスはジュノーに先に行ってて。ハワード光らせたらポータルですぐ行くから」 「わかった」 いよいよかとエレメスは感情を切り替える。 今日から、新しい人生が始まるのだ。 エレメスはジュノーで他の5人と合流する。 皆ぼろぼろでかなり激しい追い込みをしていたことがわかった。 ハワードが心配そうに視線を向けてくるのをあえて無視したが、耳が熱い。 その中で一番生き生きとしていたのはセシルで、皆を引きずるようにセージキャッスルに乗り込んだ。 メテウスシルプという人にユミルの書がどこにあるのかを聞き、光り輝く間で見せられたそれを皆で囲んで読んだ。 「意味わかる?」 「いまいち」 何でこんなのがユミルの書を・・・というメテウスシルプの困惑の視線など6人は気にしない。 「・・・・・・下に何かあるね。懐かしい感じだ。もしかして・・・・」 何かを感じ取ったらしいカトリが現れ、颯爽と歩き出す。 5人も顔を見合わせて後を付いていった。 地下に通じる階段を下りていく。ここは立ち入ってもいいのだろうかと思いつつ、人に会わないことをいいことに6人は奥に行った。 「これ・・・・・」 大きな機械が中央に設置された部屋に来ると、カトリは懐かしそうにそれを見上げた。 「ユミルの心臓だ・・・・」 あちこちで噂だけは聞いていた。 膨大なエネルギーを秘めた集積体。 目の前にあるそれは宙に書かれたルーン文字に包まれながら光り輝いて見えた。 セシルは綺麗だと言っていたが、エレメスはむしろ恐ろしいものを見るかのようにして注意深く見上げた。 無限のエネルギーを持つそれがなんなのか、カトリですら知らないのだという。 正しく使えばジュノーのような大きな島ですら浮かせることができる。 だが、一歩間違えばそのエネルギーはこの世界を壊せるだけの力を持つ。 「私が案内できるのはここまでだ。・・・・・・行っておいで」 ユミルの心臓を包む機械に手を当てたカトリはそう言って婀娜な笑みを浮かべた。 ふっと体が浮くかのような感覚に警戒をした瞬間、それは目前に広がっていた。 神殿のような柱が何本も立ったそこは、壁などは無く、周囲は空の青しか見えなかった。 皆がそこにいることを確かめたエレメスは、奥に誰かがいることに気が付いた。 「・・・・・・・・・・空に浮かんでる」 セシルが呆然として彼女を見た。 神々しいまでの正常な空気と、金色に輝く光りの中、彼女は空に浮かんでいた。 その背には羽根が生え、淡い金色の髪には月桂樹の葉が飾られていた。 その身体には美しい模様の彫られた鎧を身に纏い、手には三つ矛の槍を持っていた。 たった今眠りから覚めたかのように開いた瞳は金色。 神々しいその姿に、誰もが言葉を失う。 言われなくともわかる。 彼女が戦女神ヴァルキリーなのだと。 「ようこそ・・・栄光のヴァルハラへ」 その声は耳にというよりも、頭の中に響いてきた。 やっとここまできた。 6人は顔を見合わせ頷き、ヴァルキリーの元まで歩いていった。 「世界は新たなる戦士達の誕生を必要としています」 6人の目的が何なのか、彼女にはわかっているらしい。 6人は並んで空に浮かぶ彼女を見上げた。その目は覚悟を決めたものの目だ。 「あなた方がこれから現在までの所為を整理し、新たな生を望むというのであれば私はそれに応えましょう」 6人の体が金色に光る。 同時に抗いがたい眠気が襲う。抵抗すらできなかった。 倒れると思った身体は、だが暖かな繭に包まれ、その中で目を閉じた。 「お眠りなさい。今からあなたの身体に刻まれている記憶を消し、あなたの精神に現在までの栄光の証を記憶させます。女神ウルドに過去の記憶を、女神ヴェルダンディに現在の栄光を、そして女神スクルドに未来への生を」 心地いい声が耳に残る。 体が熱い。それは灼熱の中にいるような熱さではなく、むしろ安堵できる熱さだった。 まるで、母親の体の中にいるかのような安堵感。 その中で指先から髪の先から体の組織が作り変えられていく。 無くなっていくものに不安を感じないといえば嘘になる。だが、それ以上に感じる新たなる力に身をゆだねた。 やがて、目が覚めたエレメスは石畳の上に座り込んだままぼんやりとヴァルキリーを見上げた。 優しい金色の瞳を認め、はっとして自分の身体を見る。 今まで着ていたアサシンの服ではなく、シャツとズボンだけのその姿。 なにより、視覚で覚えていた腕の長さや体格が小さくなっていることに驚いた。 周囲を見渡せばセイレンやハワード、セシルやカトリーヌも自分と同じような姿で若返っていた。 年で言うなら15.6歳に見える。だとしたら自分もそれくらいなのだろうか。 声もでない5人は、だがしかし、マーガレッタを見て顎を落とした。 「・・・・・・・・え・・・と・・・・。ここから出るのにワープポータルが必要じゃないかと・・・思って・・・・」 そこにいたのはまだプリーストの姿のマーガレッタ。 5人の視線を集めたマーガレッタは困ったようにそう言い訳した。 言葉にならず絶句する5人の中で、一番早く立ち直ったのはセシルだった。 いきなり立ち上がると、マーガレッタの前にでて、手を振り上げた。 それを振りぬくとぱーんっと高い音がした。 「せ、セシル殿。乱暴は・・」 頬を叩かれたマーガレッタの姿に、思わず止めようとしたエレメスをセシルは目を吊り上げて睨みつけた。 美少女と言っても過言ではないのに、その表情は悪魔よりも恐ろしかった。 「・・・・何。・・・・何か文句あるの・・・?」 「・・・・・い、いや」 エレメスだけではなく、男3人が情けなく並ぶ。 それを捨て置いて、セシルはマーガレッタに詰め寄る。 「今更怖がってるんじゃないわよ!私たちのことを理由にしなくていい!何も怖いことなんてないでしょ!?皆一緒なんだから!!!!」 「・・・・・・・・・・・・」 頬を押さえたマーガレッタはその言葉に俯き、そしてヴァルキリーを見上げた。 「道なら私が開きましょう・・・・・」 そう言ったヴァルキリーが矛で石畳を挿した。 そこに現れた青い光。 それを見たマーガレッタは覚悟を決めたようにヴァルキリーの前で膝をついて指を組んだ。 ヴァルキリーは矛をマーガレッタに向ける。すると彼女の体が一瞬で金色の光に包まれた。 眩しさに腕で目をかばう。 そしてその光りが止んだ時、そこにいたのは若いマーガレッタの姿だった。 「過去のウルドが記憶したあなたの生が無駄にならないように、現在のヴェルダンディが記憶したあなたの栄光が再現されることを、そして・・・・未来のスクルドが記憶したあなたの新たな生に光りが在ることを願います」 揃ってノービスの姿になった6人は照れくさそうな顔を見合わせ、笑う。 「・・・・ごめんなさい。時間をとらせて・・・・」 マーガレッタが謝ると腕を組んだセシルが全くだわと鼻を鳴らした。 「まだ、これで終わったわけじゃないんだからねっ」 そういってセシルはマーガレッタの手を引いて青い光りの道に走っていった。 男三人がこれで儀式は完了したのかと確認の為にヴァルキリーを見上げると、彼女は微笑んで矛を空に向ける。 神々しい声が空に響く。 「行きなさい。この時代に初めて生まれた新たなる戦士達に栄光あれ」 光りの中に入った6人が現れたのは、幸運にもプロンテラだった。 突然現れたノービスの6人組にその場にいた冒険者の二人がぎょっとする。 「ほら、走って!」 「待って、セシルっ。皆がっ」 オレンジ色の髪をなびかせた少女が、金色の髪をした少女の手を引きどこかへ引っ張っていく。 その後をブラウンの髪の少女が付いていく。 わずかに遅れて現れた緑髪の少年が、すでに走り出した少女達とカプラ嬢を見比べる。 「あああっ。待ったっ。タバコ!倉庫からタバコだけでも出させてくれっ」 「後だ、後っ!ていうか、この年じゃまだ喫煙禁止だろうがっ」 倉庫に向かおうとした緑髪の少年を捕まえたのは白銀の髪をした少年で、青紫色の長い髪をした少年と共に、騒ぐ緑髪の少年の首根っこを掴んで引っ張っていった。 彼らが走っていったは教会方向だった。 「なんだったの・・・?」 「さぁ・・・・?」 突然のことにあっけに取られていた冒険者達は、気が付かなかった。 彼らが身に纏うものがノービスと言われるものと色違いであったことを。 「男どもは外!立ち入り禁止!」 教会でシスターと共に部屋に入ろうとした男3人はセシルから蹴りだされてしまった。 部屋の中にいるのは女性陣3人と、シスターのみ。 これからマーガレッタの体のことを調べてもらうのだ。 エレメスは心配そうにドアを見上げながら、その前を行ったりきたりしている。 ハワードはその姿を眺めて頬をかく。 あの男はあんなに心配性だったろうか? 「何か出産に立ち会ってる旦那みたいだな・・・」 タバコすら手元にないので口寂しいハワードはぺろりと唇を舐めた。 口ではそう言いつつも少し離れたところで壁に寄りかかってるハワード自身もさっきから片足で床を叩いている。 「エレメスは仲間思いだからな」 隣で腕を組んでいるセイレンも落ち着き無くとんとんと指で腕を叩いている。 つまり三人が三人、人のことは言えない。 それはそうだろう。 長年の願いが叶っているのかどうか、それがもうすぐわかるのだから。 「お前の場合はそれだけでもないだろうしな」 「・・・・・?」 ハワードはエレメスがドアに注意を向けていることを確認して小声でセイレンに言った。 「お前ら付き合ってるんだろ?」 「・・・・・・・・・どうして」 それにセイレンは目を丸くして固まる。 それが羞恥や動揺ではないことにハワードは小首をかしげた。 「どうしてって・・・昨夜、酒場の裏でお前らがキスしてるとこ見たから」 「・・・・ちょっとまて、お前どっから見てたんだ」 漸く焦りだしたセイレンにハワードは口元を上げる。 「お前らがのんびり夜空見上げてたところとキス。それ以上は見てない」 セイレンは頭を抱えて深いため息をつく。 「何だ。内緒にする気だったのか?残念だったな」 この時間をセイレンをつついて遊ぶかと、にやにやしていたハワードは、だが、セイレンの言葉に絶句した。 「振られた」 「・・・・・・・・・・・・・・・・は?」 「だから、振られたんだよ。はっきりきっぱり」 何度も言わせるなと恨みがましい目で見上げるセイレンの頬は赤く、その言葉が本当なのだと告げる。 「だってお前ら・・・いい雰囲気で」 「・・・・俺が無理に迫ったんだ。だけどマーガレッタはそういう気にはなれないって。今は皆が大事で皆と一緒にいることが嬉しくてそういうことを考える気にはなれないって言われた。キスしたのは俺の我がままで・・・・でも、それでもマーガレッタは許してくれた。・・・・・・・弟を見るような目で」 隣で笑うマーガレッタに込みあがる愛しさが抑えきれず抱きしめて、無理やりのようにキスをして静止の言葉すら塞いだ。 どうしても欲しかった。 それでも目を開けた時に見たマーガレッタの悲しそうな顔に自分は罪悪感しか感じなかった。 不安だからこそ、今の気持ちに流されたくないのだと彼女は言った。 皆のことが大事で、それはセイレンのことも含まれているのだけれども、それ以上の気持ちを持つことは今はできないのだと。 その言葉を聞いてセイレンは自分の中にある不安を認めて体を引いた。 マーガレッタを愛しいと思う気持ちに嘘は無い。 だがその言葉を聞いて、自分のそれはそれは果たして責任から来るものなのか、不安からなのか、それとも本当に愛しいと思っているからなのか分からなくなってしまった。 確かに普段の自分なら、マーガレッタにこんな顔をさせるようなことしなかっただろうに。 セイレンはあの時のマーガレッタの悲しそうな顔を思い出してまた深いため息をつく。 「・・・・・女って・・・・強いな」 マーガレッタだけではない。 さっきもマーガレッタがそのままの姿で立って時、自分はあっけに取られていたにも拘らず、セシルだけがマーガレッタを叱り付けた。 「どうかな・・・・・案外臆病だからかもしれないぞ」 ああ。転生をためらったマーガレッタはつまりそういうことなのだろう。 セイレンはハワードの言葉に小さく頷く。 自分は彼女の不安を理解したような気がしていた。 だけどそれは違っていた。 「結局は俺が一番不安だったのかもしれない」 だから気持ちを押し付けてしまったのだと。 セイレンは腕に爪を立ててそうい言った。 それはきっとギルドマスターとしてではなく人としての責任感が強いゆえのものだったのか。 今までかかる不安を優しい手と大丈夫だという言葉で拭い取ってくれたマーガレッタの姿を思い出して、甘えていたのは自分の方だったのだと思い知った。 「・・・・・・・・・・・・・」 海のような色の瞳を細めて俯くセイレンに、ハワードは納得しながらも改めて昨夜のことを思い返していた。 エレメスが来る前には二人並んでいい雰囲気で話をしているようだった。 声は聞こえなかったが、その姿は恋人同士のような雰囲気ですらあった。 それから次に見た時には二人キスしていて、その間とその後を見ていなかったハワードとエレメスはすっかり誤解していた。 だが、誰が思うだろう。 白銀の髪と海のような瞳を持つ秀麗な男。 そして清廉実直、気高さと公平さを体現する騎士の鏡。 女と付き合うどころか、数多くの女に告白されても剣を理由に申し訳ないように断っているところしか見たことが無い。 そしてまっすぐに剣で道を切り開いてきたセイレンと、癒し手のマーガレッタは誰が見ても美男美女のお似合いの二人で、それなりに人の心の機微に聡いハワードもいつかそんな日が来るかもなと思っていただけに疑いもしていなかったのだ。 「・・・・・・・・・・・・・」 ハワードは改めてセイレンにじっくりとした視線を送る。 きっと誰もが思わなかったに違いない。 セイレン=ウィンザーともあろう者が、女に振られる日が来るなどと。 「・・・・・・ぶっ」 こみ上げた感情に思わず噴出したハワードにセイレンが歯噛みしてその足の甲を踏む。 痛みに足を引きながらも、笑いは止まらず口を押さえた隙間から漏れる笑いは肩をも震わせる。 「ハワードっ」 小声ながらも非難の声を上げるセイレンと、急に笑い出したハワードにエレメスが振り返っていた。 「どうした?」 「いや、なんでもないんだ。・・・おいっ」 前半は慌ててエレメスに返して、後半はハワードの体をどつく。 エレメスも気にはなったのだろうが、ドアの向こうでなにやら声が聞こえたらしく、そっちにまた意識を取られていた。 「やっべー、はまったっ。だって・・・お前っ・・・・・」 「仲間の失恋を喜ぶ薄情者はお前かっ」 眉間に皺を寄せて、かわらず肘でハワードをどつきまくる。 それは昔からの知り合いだからこその遠慮の無さで、ハワードは謝りながら降参の諸手を上げる。 姿がまだセイレンも騎士団に入る前に共に遊んでいた時期のものというのもあって、まるで気持ちまで若返ってしまったような気がする。 セイレンも完全に怒っていると言う訳ではなさそうで、今はただ吐き出せる場が出来て心の荷を少し下ろしたのかもしれない。 「悪かったって。・・・ま、まさか俺らが恋敵だったなんてさ・・・・。悪いなーセイレン。お前の恋ぶちこわしてよ」 だけど今はまだ、マーガレッタを誰かのものにさせられそうにない。 まだ笑いは抑えきれないが、これ以上笑うとセイレンを本気で怒らせかねない。 悪いと共に片手を上げて謝罪するハワードに、セイレンはじっと睨み上げて唇を尖らせた。 「・・・・・・・・侘びに今夜、酒に付き合え」 下戸の上に、酒が入ると誰彼構わずキスをしたがるセイレンから飲みに付き合えと言われるのは初めてだった。 それが失恋の痛手を癒すための自棄酒だと分かっていたからハワードは躊躇いも無く頷いた。 「オーケーオーケー。いくらでも付き合おう」 困ったことにセイレンには誰もいない時に酒が入ると人を探して彷徨う癖がある。 誰かがそれを止めて犠牲になければならないのはハワードも分かっていた。 頬にキスしてやるくらいですむのなら安いものだ。 だがふとセイレンは何かに気がついたように眉間に皺を寄せる。 「あ、でも。そうなると俺の貞操が危険か・・・・・」 「おい・・。俺が誰彼構わず襲うと思うなよ。コノヤロウ」 すっかり拗ねているセイレンの言葉に引きつりながらも答える。 セイレンはふと顔を上げてエレメスを見る。 「そうだ。エレメスに付き合ってもらおう」 「ちょっと待った。お願い、それだけはやめてっ」 セイレンは純粋に自分を止めてくれるだろうと思っているのだが、ハワードにとってはしゃれにもならない。 特に今はせっかく手の中に落ちてくれた愛しい人との仲をこじらせるような真似はしてくれるな・・・・・。 と、ハワードはそこまで考えてざーっと青ざめた。 失恋の痛手に付け込むようにして手に入れたエレメス。 だけど、それは誤解だったのだと彼が知ったらどうなるのか。 いやでもだって、まさかセイレンが振られていただなんて思わなかったし。 エレメスもそう思い込んでたし。 確かにあれは勢いもあったかもしれないが、エレメスだって自分で望んだことだし。 でも。 ど、どうしよう。 ・・・・・・・・・・後悔でもされたら。 「エレメスー。あのさー」 「ちょっと待てセイレン!!!」 早速酒の誘いに乗り出したセイレンをハワードが背後から捕まえて羽交い絞めにする。 何事だとこっちを見るエレメスに、ハワードはセイレンの口を塞いだ。 「・・・・・・どうした?」 「な、なんでもないっ」 丁度その時、中からドアが開いてカトリーヌが顔を出した。 「入っていいって」 それに三人がはっとしてセイレンを脇に抱えたハワードが先に中に飛び込む。後から遅れて入ったエレメスはそんな後姿を見て面白くなさそうに眉間に皺を寄せた。 「・・・・・馬鹿者」 エレメスとて元暗殺者。生まれ変わったとはいえ、耳がいいのは変わっていなかった。 ドアに注意を向けていたが、二人の会話ははっきりと聞こえていた。 エレメスもセイレンが振られたのだということに愕然としながらも、しかしエレメスが面白くないのは不思議とハワードの態度の方だった。 まず、知れば自分がセイレンにまた鞍替えするのではないかと疑っているその態度が気に入らない。 昨晩さんざん抱き潰してくれたのは誰だったか。 その本気とやらを教え込まれた跡はもうこの体に残ってはいなかったが、それでも見えない心の中に刷り込まれてしまったものは消えていないというのに。 それなのに、普段の自信過剰ぶりはどこへやら。 どうせ心配するなら隠すようなことはせずに包み隠さず言って、『俺のことを選べ』くらいのことは言えというのだ。 「馬鹿者が・・・」 内心腹を立てながらも、エレメスは4人に囲まれているマーガレッタのもとに行った。 マーガレッタはベットのようなところで体を起こしていた。 その細い体にセシルが抱きついて、いつものきつい相好を崩し泣きじゃくっている。 「よかった・・・・良かったぁぁぁ」 ぼろぼろと泣くセシルを、マーガレッタは少しだけ照れくさそうに、それでいて幸せそうにセシルの髪を撫でて慰めている。 その目にはうっすら涙が浮かんでいた。 二人だけではない。 セイレンも手の甲で目の端を拭い、ハワードも鼻の頭をこすりながら鼻をすすっていた。 マーガレッタを挟んで反対側に立っていたカトリーヌも今日は優しい微笑を浮かべていた。 少し離れたところにシスターが両手で顔を覆い立っていて、潤んだ瞳でマーガレッタを見て頷いていた。 窓の代わりのステンドグラスが赤や黄色の光と共にその光景を輝かせる。 そこだけ空気が暖かいもののように感じた。 そしてエレメスは誰に言われなくとも悟った。 ・・・・・・・ああ、奇跡は起きたのだ、と。 「・・・・・・・セシル・・・カトリーヌ・・・・セイレン・・・・ハワード・・・・・エレメス」 マーガレッタは震える声を抑えるかのように一人一人視線を送り名前を呼んだ。 そして幼い聖母は微笑むと、若葉色の瞳に溜まっていた透明な雫が頬を伝って落ちた。 「ありがとう・・・・皆」 返る言葉は無かった。 ただ、言葉にならない暖かな思いだけがそこにあった。 「・・・・・・・俺達もマーガレッタに言わなければと思っていた言葉がある」 暫くその空気に浸っていたが、ようやくセイレンが言葉を紡いだ。 あの日、失ったものの重さに伝え切れなかった言葉。 彼女のことを思うと言いたくても、言えずにいた。 「ありがとう、マーガレッタ。・・・・あの時、俺達の命を救ってくれて」 「・・・・・・・・・・・」 マーガレッタは驚きに目を見開く。 そしてセシルやカトリーヌやハワードからも次々と伝えられる感謝の言葉に、マーガレッタは言葉にならなかったのか唇を振るわせ首を横に振りながら、ぼろぼろと涙を零した。 そこにいるマーガレッタは日頃の慈愛に満ちた聖母ではなく幼い少女のように見えた。 皆の不安でこわばっていた心が解きほぐされる。 その光景を見て、エレメスは目頭が熱くなるのを感じた。 それは昨夜も感じたことのあるものだった。 ハワードが思い出させてくれた。 『涙は辛いことや悲しいことを全部流すためにあるんだ。流せなかったら、身の内に溜め込んだままずっと残っちまうだろ』 そう教えてくれた言葉を思い出す。 ハワード。 それにもう一つ付け加えてもいいだろうか。 辛い時や悲しい時、人は涙を流すものだとお前は教えてくれた。 だけど。 だけど、本当に嬉しい時も人は涙を流してもいいのだと。 それはきっと気持ちを流してしまうのではなく、溢れる気持ちを堪えきれなくなるからなのだと。 そう、お前に伝えてみたい。 お前はどう答えてくれるだろう。 エレメスは涙こそ流してはいなかったが、潤んだ目で微笑んだ。 その姿は、かつてハワードが見た神の化身ごとき姿ではなく、一人の人間の姿だった。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 絆編はここで終わりです。 テーマは『生まれ変わる』。身も心も。 最後まで読んでくださってありがとうございました。 |