それは昔、どこかであったかもしれない話。












「こういう『仕事』をしていると、他人を信じる事が馬鹿馬鹿しくなって」

ついさっき人を殺してきたばかりの暗殺者は、残酷な台詞を吐きながら子供に向けるような優しい笑顔で俺を見下ろす。
そして羽に触れるように優しく俺の髪の毛に口付けた。

「あんたみたいな人知らないよ」

「・・・・・・・・・・・・・」

その優しい声に俺は胸が締め付けられるように痛んだ。
今更だと思う。
その笑顔が俺を見てる訳じゃない事は十分にわかっていた筈なのに。
俺という存在を見ているわけじゃないと分かっていた筈なのに。

「なぁ・・・何で何度裏切られてもあんたは人を信じられる?」

貴方の指が俺の髪に触れる。
・・・・・・・・愛しそうに。

分かってる。
この男は『俺』をけして許さないだろう。
そう思ったら何故だか涙が溢れてきた。

「・・・・・・・・・・・・・・?」

貴方は怪訝な顔で俺の名を呼んだ。

初めから自分が人を愛する事は許されないとわかっていた。
この身の本来の『記憶』がいつ蘇るか分からなかったから。
でも、記憶は無くてもこの体がある限り貴方は俺を愛してくれるでしょう。

たとえ偽りでも。
たとえ貴方が知っている俺でなくても。

「どうかしたのか?」

涙が止まらない俺に、貴方は困ったような顔で涙を拭う。

「・・・・・・・・・・・・・・」


―――――ごめんなさい。

俺はたった一つ嘘をついた。
貴方を離したくなくて嘘を付いてきた。

目を覚ました時『初めて』会ったあなたを好きだと思ったから。
自室の机の奥にしまわれた日記から、俺は『記憶』ではなく『記録』を脳に刻み込んだ。

「何故泣いてる?」

それに答える事は出来なかった。
貴方が貴方であるように、俺も貴方の望む俺になりたいと思っていた。

それが約束だと。
それが償いだと。

心配そうに慈しんでくれる貴方を愛してしまった俺に出来るたった一つの嘘だと思っていた。

だけど違うと解かってしまったから。

貴方に愛された俺はもうこの世にはいない。
貴方に裏切られたと思った俺はもうこの世にはいない。


―――――ごめんなさい。


『あれ』が貴方が俺に仕掛けた最後の嘘だと気がつかないまま、『俺』は記憶を失いました。
貴方との記憶を全部失いました。
そうしなければ弱かった俺はきっと壊れてしまっていたから。

貴方を最後まで信じられなくてごめんなさい。


それでも、愛しています。


「・・・・・・・・俺は、貴方に伝えないといけないことがある」

剣を握る硬い掌を両手で掴む。
この手が何人もの人を死に追いやった。
そして、失った過去の俺にもこの手で剣を向けたのだろう。

「・・・・・・・・・・?」

暗殺者と呼ばれる男は子供のような顔で小首を傾げた。
用心深く人を疑う筈の貴方が俺のことを疑わないのは、俺のことを信じてくれているから。
だけど 貴方が信じ始めてくれた頃から俺は貴方を裏切ってきたのだと貴方は知らない。
俺の目からは、ただ涙が溢れる。


どうかこの傷ついた魂に幸福を。
世界中の安らぎを。


俺の言葉が貴方を傷つけてもそれを乗り越えられる強さを。




「                 」




願うことは罪ですか。
















裏切られても記憶を失っても最後に残った愛情。
故に犯した罪。


しかし罪はどちらか片方だけが犯したものなのだろうか?







































聖職者の赤と黒の法衣を裂くように開いた。
指先で肌をなぞり、構えたグラディウスを彼の胸に垂直に当てた。

「――――――-っ」

彼の目が驚きに見開かれる。
それを見ながら、グラディウスを彼の身に沈みこませた。
心臓の横、肺や血管を切らないように細心の注意を払って。

「動くな」

低い声は彼の動きを封じる。
それでいい。
動けば細い血管を切るだろう。
そうなれば命は無い。

信じるといった。

人を殺しているのだと言った俺に、殺さないで欲しいと言った聖職者。
俺のことを好きなのだと言った愚かで哀れな聖職者。
煩わしいと思っていたはずの自分が、彼の姿を捜すようになったのはいつだったか。
視線が泳ぐことに気がついた自分に怒りがわいた。

「貴方は優しい人です。人を殺すたび、貴方が傷ついているのが俺にはわかる」

「・・・・・・・・・」

馬鹿な聖職者。
俺の何を見て、わかったつもりでいるのか。

それでも、人を殺す自分の剣が鈍るのがわかった。
迷いは暗殺者たる自分の命を脅かすものでしかない。
そうわかった俺はあんたを試すことにした。

胸倉を掴み、地面に押し付け、刃を突き立てた。
聖職者の目が驚きに見開かれる。

「・・・・・・・・・・・」

その口が何かを言おうとして、声にならない吐息だけを吐き出した。

あと、1ミリ。
深く刺せば動脈を切るだろう。
あんたが僅かにでも抵抗を見せればそれで終わる。

さぁ、あんたはどうする。
俺を押しのけるか。
抵抗するか。

動くことも出来なければ罵ればいい。
信じていたのにと、叫べばいい。
目の奥が沸きあがる感情に赤く染まる。


―――――さぁ。早く、俺を裏切れ。


そうすれば俺は躊躇いも無くあんたを殺せる。



だが、聖職者は目の端から涙を落とし、意識を失った。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

力を失った体。
指先で刃を挟み、ゆっくりとグラディウスを引き抜く。
刃に滑る赤い血。
だが、最低限の血だけをそこから滲ませて引き抜いた後、傷をヒールクリップで癒した。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

聖職者の心臓は動いていた。

俺はもう何もする気が起こらないまま彼の横に座る。
深いため息を吐き出す。

賭けはひとまずあんたの勝ちだ。
だが、目が覚めたあんたは俺をどうするのだろう。
さっき見た、あんたの見開かれた瞳には恐怖の色しか宿っていなかった。
さぁ、次にその目に俺を写した時、あんたはどうする?


その時こそ、あんたは俺を裏切るのか?


3時間。
片膝を抱いて目を閉じていた俺は、隣で動く気配を感じた。
目が覚めた聖職者がぼんやりと俺を見上げていた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


目を細めて俺を見、そして彼は優しく嬉しそうに微笑んだ。

その命を脅かした俺に向かって。


「・・・・・・・・・・・・・・・」


思わずその表情に手を伸ばす俺に、彼は頬を摺り寄せた。
熱い吐息を掌で感じた時。


俺は初めて人を殺さなくて良かったと思った。


再び眠りに落ちた彼の頬に、水滴が落ちた。
雨かと思った。
だが、それが自分の目から落ちたものだとわかって俺は驚いた。


意識しないで落ちる涙など
こんな人間らしいものなど


・・・・・・・・・・・・自分にまだあったのか。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」





・・・・・・・・・・・・認めよう。


愚かで哀れな聖職者。
俺はあんたを愛している。


俺は聖職者を抱きしめた。
この温もりを壊さぬよう、取られぬよう。



悪魔のような俺を愛しているのだと言ってくれたあんたを、俺はもう裏切らない。















裏切らないと誓ったその瞬間に、恋を認めた瞬間に、
暗殺者は裏切られる。

すれ違う二人の話。


















































「俺は貴方の知っている俺じゃない」


何を言われているのかわからなかった。
あんたは法衣の襟を指先で開いて、薄く残る傷跡を晒した。

「俺のこの胸の傷は貴方がつけたもの。他でもない貴方がそう教えてくれましたね」

聖職者の目から涙が零れる。

「俺にはその前の記憶がありません」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

何を。
言われているのか。

何を。
この聖職者は言っているのか。

記憶が無い?

何故

いつ

俺があんたの異変に気がつかないはずが無い。
あんたの胸を刺した日から、あんたに異変は無かった。
ただ・・・たまに物忘れをするあんたを、俺は馬鹿だなと笑っていただけで。
あんたを受け入れる前の俺は、できるだけ関わらないようにしてきたから、些細な違和感も自分の思い違いだと思い込んでいた。

聖職者は胸の傷を掴むような仕草をした。

「この傷がつく前の貴方に関する俺の記憶は、かつての俺が日記に書いていたことを覚えたもの」

俯く聖職者の表情は前髪に隠されて見えなかった。

「貴方が知っている俺は・・・・・・・」

その言葉の後を聞きたくなくて腕を伸ばした。
聖職者の喉を掴みあげる。
足が宙に浮き、苦しそうに顔をゆがめた。

なんて愚かな聖職者。

いや、本当に愚かだったのは自分だったのだ。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・騙して、いたんだな」


呟いた声は、自分が出しているのかわからないくらい低かった。


そうだ

人を信じるから裏切られる。

なぜそれを俺は忘れていたのだろう。

何故、俺はこいつを信じようとしたのだろう。


呼吸することもままならず苦しそうな顔で俺を見る瞳は涙で濡れていた。

・・・・・・・・・そういえば、あんたの胸を刺した時も・・・・・・・・・・・・・こんな涙を流していた。


――なんて、汚らわしい。


あんたはあの時、何もしなかったわけではないのだ。
あの時できる最大の抵抗をしていたのだ。
俺との記憶を消すという、これ以上ない裏切りを。

・・・・・・・・・・それを俺が気がつかなかっただけ。


怒りで目の前が赤くなる。
触れるのも汚らわしく思って、聖職者を投げ捨てた。
地面に崩れ落ちる聖職者は咳き込んでそのまま苦しそうに肩を上下に揺らすように呼吸を繰り返した。
聖職者が俺の名前を呼んだ。
鳥肌が立つ。

「二度と俺に近づくな」

こいつは俺が愛するのだと思った男じゃない。
そして、俺を愛してくれた聖職者もこの世にはいない。




あの日、俺は裏切られていたのだから。















信じないことは信じたいということ。


受け入れると決めたなら、
信じないと言っていた同じ強さで
信じ抜こうとするでしょう。



真実を知らなければ。









































「二度と俺に近づくな」

わかっていた。
拒絶されることなど。

わかっていても、もう隠すことなんてできなかった。
愛しいと心が叫ぶ反面、あなたが俺を愛しそうに見る目が辛くてしかたなかった。
あなたを騙しているのだと思い知らされる日々は針のむしろを転がる行為にも似ていた。

「・・・・・・・」

それでも、最後に見たあなたの視線に比べればさして辛いことでもなかったのだと思った。

蔑み。
怒り。
殺気。

ほら、思い出すだけでまた短剣で貫かれるように胸は痛む。
こんなに苦しいのに、どうして自分は死なないのだろう。
本当は告白したあの日、殺してくれるかもしれないと思った。
この胸をまた刺し貫いてくれるのではないかと。
でも、あなたはそうしなかった。
哀れみをかけたわけじゃない。
あなたはただ、俺をもう見たくもなかった。触りたくもなかっただけ。
あなたにとって俺は殺す価値もない存在なのだと、あの目は言っていた。

あなたと言う存在を得たゆえに、それからの幸せな日々の記憶は今の俺を苛んだ。

「・・・・・・・・・・・・・帰ってきて」

本当の俺。


どうして俺は記憶を失った?
どうして俺はあなたを信じられなかった?
あの日の俺にいったい何があった?

帰ってきて。
俺じゃ、あの人を救えない。
今も苦しんでいるあの人を救えない。
俺があの人を傷つけたのに、むしが良すぎるかもしれないけど。

意識が闇に溶ける。
息が苦しくて仕方ない。
仰向けに寝転んだ俺は胸の傷が熱を持つのを感じた。
じわじわと体を苛む熱が脳を沸騰させる。
喉の奥が乾く。

体の中で何かが起こっていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

かつっと、靴音がして肩を震わせそちらを見た。
そこには信じられないように目を見開いたあなたがいた。

「・・・・・・・あんた、なんで・・・・・。一ヶ月も・・・・なんで、ここに・・・・」

一ヶ月?
ああ、あなたに近づくなと言われて立ち上がることもできなくて、俺は一ヶ月もここに横たわっていたのか。

・・・・・・・・・・・・・え?

俺は、その言葉に違和感を覚えた。
俺は彼と別れてから何も口にした記憶がなかった。

人は、一ヶ月も飲まず食わずでいられるものだろうか・・・・・?

ぞわっと背筋が震えた。
身を起こし、彼から離れる。背に木の幹が当たってそこでとまる。
目を見開き、震える自分の手のひらを見た。
自覚したからなのか、なんなのか・・・・・手のひらが透けてその向こうの草原が見えた。

「いやだっ」

思わず身を庇うように体を縮こまらせた。

これはなんだ。
俺はいったいどうした。
あの人が驚いたように俺を見ていた。震える唇が、見開かれた瞳が、俺という存在を見ていた。

怖い。
怖くて仕方ない。

いったいなぜ。
何があったんだ。
俺の身になにが起こってる?

「っ!」

地を蹴った、あの人が一瞬で俺の前に現れた。
抱きしめられた体が恐怖で震えた。
透き通る体はまだ実体を持っているのか、恐れていたように透過することはなかった。

「・・・・・・・・・・・・・・なんで・・・・・・だ・・・・」

彼の声が震えていた。
そこにあるのは、一ヶ月前見た蔑みや怒りはなく、ただ、恐怖と悲しみがあった。

「なんで、こうなった・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

なぜ。
それは俺も思う疑問。
胸が焼け付くように熱を持つ。
胸の、ふさがっていたはずの傷が開き、血を溢れさせた。
あなたはそれを見て喉を震わせるように声を上げた。
肺から血が溢れ、喉をふさいだ。咳き込んでそれを吐き出す。
あなたの服を汚した。

「・・・・・・・・・・ぁ・・・・」

法衣の袖でそれをぬぐうが、染みは広がるだけだった。
あなたの手が俺の傷跡を抑える。無駄とわかっているはずなのに。
俺は急激に起こる身の異変に感覚が麻痺したかのように震えることしか出来なかった。
そんな俺を貴方は必死になって『生かそう』とする。

「死ぬな・・・・・っ。死ぬなっ!」

「・・・・・・・・・・・・・・・」


かわいそうな人。


眦から涙が落ちる。

こういうときこそ、都合よく記憶が戻ればいいのに。
あなたを安心させてあげられればいいのに。
でも、記憶は戻らない。

なぜならあの日、あなたに胸を刺し貫かれた日、俺は死んだのだから。

ここにある俺はただの残留思念。

どうしてこんな存在になったのか、今ならわかる。
目から涙が落ちる。俺は震える唇でつぶやいた。

「・・・・・・・・あなたが、愛しい・・・・・」

愛しくてたまらない。

人はどうしようもないと笑うものなのだと思った。俺が微笑むと、あなたは辛そうな顔をした。

「・・・・・・・あの時もあんたはそうやって笑った・・・」

あの時・・・・・?
ああ。
記憶を失った俺が『始めて』あなたを見た瞬間のことだろうか。

「あんたを呪った。蔑んだ。一ヶ月もだ。それで俺はやっと気がついた・・・・・・俺はあの時、『あんた』の笑顔を見た時・・・・・・『あんた』と恋をしたいと思ったんだってこと」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

『俺』と?

記憶を失う前の俺じゃなくて?

・・・・・・・・・・『俺』のこと、好きでしたか?

愛しいと思ってくれていましたか?
共にいた時間が短くとも、俺と言う存在が偽者でしかなくとも?
それでも、あの日々は偽りではなかったと?

血ではないなにかが胸から溢れ出す。

震える指であなたの頬を撫でる。その指すらもう透けて消えてしまいそうだった。
それでも、あなたは俺の指をつかんだ。離さないと言うように。

・・・・・ねぇ、どうしてあなたが消えかけた俺の指を掴めるかわかってます?

「・・・・・・・・・どうか、俺と一緒に逝ってくれませんか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ」

俺の言葉に、あなたは腕の力を込めて躊躇いもなく頷いた。
言ったのは自分だけど、こんな裏切り者の俺の言葉に頷いてくれるとは思わなかった。

「思い出したんだ・・・・・・・。あの夜、あんたは俺を裏切ったりしなかった」

あなたの言葉を不思議に思う。
思い出したのだと言った彼もまた、記憶が欠落していたのだろうか。

・・・・・・・ああ、そうかもしれない。

『俺たち』はとても不安定な状態だから。

腕に抱かれて目を閉じる。
あなたの目から零れた涙が頬に当たる。

「あんたは気を失ったのだと・・・・傷はヒールクリップで癒せたのだと俺は思い込んでいた。・・・・・・・だけど・・・あんたは、あの時。自分を刺し貫く俺に向かって体を起こして口付けた。・・・・・・・その後、あんたは血を吐いて・・・・・苦しんで・・・・っ」

そう。
そうだったのか。

彼の口から聞く言葉はそれが真実なのだろうと実感させる。
胸から溢れる血は止まらなかった。

「俺は・・・・・・あんたが死んだことを認めたくなくて・・・・・っ!あんたは死ななかったのだと、まだここにいてくれると・・・・っ!自分の記憶すら改ざんして、そんな愚かな俺の願いが・・・・・あんたの魂を繋ぎとめたのか・・・・?」

あなたの腕が俺を抱いた。
強く、痛いくらいに。
体ではなく心が愛しさにきしむ。

「・・・・・・・・・・・・・・」

それはきっと半分は正解。
だけど半分は間違い。

俺の体が消えていくのを恐れるようにあなたは言った。


「・・・・・・・・・・一緒に・・・っ」

「・・・・・・・・うん」


・・・あなたがそう言ってくれてよかった。


あなたは最後まで気がつかない。
俺をかき抱くあなたの体もまた透けていることを。
そして、気づかせる必要もない。

俺の役目はあなたを天に連れて行くこと。
前の俺はきっとそのために残留思念を残したのだ。
そして記憶を失ってもまた同じ人に二度恋をした。

生きていた頃の俺はきっと幸せだった。
記憶をなくす前の俺もきっとあなたを愛しいと思っていたはずだ。
だから記憶を失って初めてあなたを見た時も、あなたのことが愛しくてたまらなかった。

人はどこで恋をすると思いますか。

体?

頭?

それは違うと今の俺は言える。



人はきっと・・・・・・・魂で恋をする。



力のない腕であなたを抱きしめる。
過去の自分と今の自分が溶け合うかのようなこの感覚はなんなのだろう。


「愛してます」


こんな自分でもあなたのためにできることがあった。
それが嬉しい。



――――愛しい人。




どうか次の世界でもあなたに会えますように。
そして、また幸せになれますように。

今の自分が不幸せだったなんてちっとも思わない。
消え行く今ですら怖いとは思わなかった。
こうしてあなたと一緒なのだから。



体が消えていく。

あなたの体も同じように空気に溶けていく。


俺はあなたの熱だけを感じて、

あなたは俺の熱だけを感じて、





俺たちはこの世界から消えた。































































































「貴方は優しい人です。人を殺すたび、貴方が傷ついているのが俺にはわかる」

貴方は目を見開く。
それは俺の言葉が貴方へと届いている証拠だった。
優しい嘘は貴方を蝕む毒のよう。
優しく抱きしめるこの腕も、貴方を縛るトゲでしかない。

あなたは俺という蜘蛛の糸に絡め取られる哀れな人刺し蜂。

貴方は人を信じない人だった。
人の良い聖職者の仮面を被った俺を貴方はその勘で追い払おうとした。
それでも去らない俺に、貴方は警戒心はそのままに俺の裏を探ろうとした。
でも、貴方は何も掴めなかった。

そうでしょうね。
初めから裏など無いのだから。

貴方に殺された人間の身内でもない。
貴方を堕落させるため、教会から送られた刺客でもない。
誰も信じない貴方を、愛さない貴方を、俺は試したくなった。
それは命をかけた賭けだった。

正直、人を殺した手で触られることは虫唾が走る行為だと思っていた。
それでも初めて貴方に無理矢理抱かれた日、俺は勝ったと思った。
思ったとおり、貴方の剣は鈍り始めた。
それは僅かな変化。
それでも、大きな変革だった。

人を殺すということは、人からも殺されるということ。
俺という毒は確実に貴方を蝕み始めた。

警戒心は今なお貴方の中にある。
貴方は俺を信用しなかった。

滑稽なほどに。

「どうして俺の傍に来る」
「貴方に人を殺して欲しくないからです」
「何故」
「貴方を愛しているから」

そう言って邪気を消して微笑むと、貴方は据えた目で俺を見た。

「嘘だな」

そう言って踵を返す。
消えた貴方の影を瞼の奥で思い返した。
そしておかしくなって喉の奥で笑った。

「・・・・・・・・・・嘘と知っているのに、貴方は俺に惹かれてるんですね」

貴方と俺はよく似ている。
誰も信じないところなんか特に。
同属嫌悪という言葉があるように、こういう肝心なところで貴方と俺は相容れない。

それなのにどうしようもなく惹かれる。

嫌いと好きはよく似ている。相手のことを強く思うという意味で。
俺は貴方を愛してはいない。
それでも苦しむ貴方を見たいと思うほどには好きだと言ったらおかしいかな。





終わりは突然やってきた。

背筋がぞくりと冷える感覚に振り返った俺の視線の先に貴方がいた。
闇に溶ける体。死臭漂う空気に混じる霊の気配。

一目で生きていないことはわかった。

だけど俺はそれを気づかせること無く、会えた嬉しさと心配を含んだ声で貴方の名を呼んで恋人を演じた。

そういえば、今日も任務だったんでしたね。
要人の暗殺でしたっけ。返り討ちにあいました?
だめですよ。
暗殺者が迷いを持っては。

貴方の手が俺の頭を掴んだ。
肩から落ちるように崩れ落ちた体に受ける衝撃は脳を揺すった。
俺の体に乗り上げる貴方の手にはグラディウスが握られていた。

・・・・・・・・幽霊でも、人を殺せるんですかね。

グラディウスの剣先が俺の胸に当たる。

「動くな」

氷のように冷たい声。
身に沈む刃の冷たさと感覚は幻ではない。
これは死ぬなと、脳裏で冷静に思った。

不思議と怖くなかった。
俺を見下ろす貴方の目には怒りも何も無かったから。
だが、その刃が貫く場所が大事な血管や器官を避けていることに気がついて、俺は驚きで目を見開いた。


何故。


俺を迎えに来たのではなかったのか。
俺を殺しに来たのではなかったのか。


貴方は気がついていたはず。
貴方の死は俺の所為だと。

それでも貴方は、自ら俺を殺せないのか。


「・・・・・・・・・・・・・・」


なんて愚かで哀れな暗殺者。
それこそ星の数ほどに人を殺しておいて、今ここで人一人殺せないなんて。


「・・・・・・・・・・・・」


見上げた先の貴方の瞳の中に俺の姿が映る。

・・・・・・・・人を信じなかった貴方の中で俺という存在はどう映っていますか?
俺の中での貴方のように映っていますか?


貴方は、俺をどう思っていましたか?


震える唇は脳裏に浮かんだ言葉を音にしなかった。



指一本でも動かせばそこから振動が伝わり、胸の刃が俺を殺すだろう。

それでよかった。

俺は両手を上げて貴方の首に腕を絡めて貴方に向かって身を起こした。
俺の唇が貴方の唇に触れる。

これが最後の口付け。
俺が貴方にできる最初で最後の素直な行為。

感触があるのがおかしくて、・・・・・・嬉しかった。
身を貫くグラディウスが背まで刃を突き出した。
肺を破ったせいで呼吸器官にまで血が溢れ出す。

「っ!」

咳き込む俺に、貴方が目を見開く。
首を横に振り、胸の刃をそのままに、そこからあふれ出る血を止めようと抑える。
だが、破れた血管は元には戻らない。

いっそグラディウスを抜いてくれてもいいのに。
そっちの方が楽だろうと思う。
でも自分でする気にもなれない。

貴方は何かを叫んでいた。
だけどその言葉は俺には聞こえなかった。
たぶん、死ぬなとかそういうことを言っているのだろう。
俺の名前も呼んでいるのかもしれない。
聞こえないのは貴方は幽霊で、俺は生身で。だからだろうか。
だとしたら、俺も死んだら貴方の声が聞こえるのだろうか。

だったら、いいな。


「・・・・・・・・・・」


ねぇ、知ってましたか。
俺は貴方のことが世界で一番嫌いでした。

貴方は俺によく似ていて、誰も信じない人だったから。
だから、貴方のことを信じることが出来たら、愛することが出来たら、俺は俺を赦せるのかもしれないと思ったんです。

俺もまた人殺しだから。

・・・・・・・・・俺は、母の命と引き換えに生まれてきた。
その罪を背負ったまま今まで生きてきた。
奪った命の数は違えども、俺も貴方も同じ人殺しです。

それでも、愛してはいけませんか。
誰かを愛したいんです。
愛せるのだと思いたいのです。
愛してくれる人がいるのだと、 こんなに広い世界に一人くらいそんな物好きがいてくれないかと思ったんです。

こんな俺でも誰かに愛してほしかったんです。

涙で視界が揺れて、眦から雫が零れた。


こんな俺の我侭に付き合わされて死んだこの暗殺者がかわいそうだ。
どうしようもなく哀れだ。
本当に馬鹿で、かわいそうでかわいそうでかわいそうで。
死んでも俺くらいしか泣いてくれる人がいないだろう、この暗殺者が哀れで。


―――――――愛しい。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


胸から溢れ出すのは血だけじゃない。
もう終わりだと思ったら、今まで誤魔化してきて認めることができなかった思いがあふれ出してきた。


―――――――愛しい。


俺の体をかき抱く貴方が愛しいのだと、初めて思った。

互いに互いを試すようなことばかりしていて。
蔑みと偽りの言葉を繰り返した。
本心を隠したまま。

・・・・・どうして俺達はたった一言が言えなかったのかな。

いや、俺は言っていた。
それを本心から伝えなかっただけ。そしてあなたは敏感にそれを感じ取った。

俺と貴方はきっと共犯にはなれても恋人にはなれなかった。


かわいそうに。

貴方の魂はこの世を彷徨うだろう。
生身の人間を殺した魂はそうなる定め。そして魔物と化す。
俺を試すようなことをするからそうなる。


・・・・・・・いや、貴方は試したわけじゃないのか。

ただ、俺を信じたかっただけだ。


死んだ人間の思いはとても純粋だ。
喜怒哀楽を隠す肉体を失ったのだから。

だからあなたはこうして俺の気持ちを確かめようとした。
抵抗するか否かで。


貴方の最後の気がかりは、俺の心だったのか。

あなたもまた、俺を思っていてくれていたのか。


ねぇ。

・・・・・・・・・・・・・・・それは、わかりましたか?

ちゃんと伝わりましたか?



五感が麻痺しているのがわかる。
痛みがもうわからない。
唇に残されている感触を思い返すことすら今の自分には出来なかった。

肉体を失えば俺もまた貴方のようになるのだろうか。
だとしたら偽りという肉体を捨てた俺に、一体何が残るんだろう。
見てみたくはあったが、それはきっと叶わないのだろう。

貴方が自分の死を気がつかないように、俺もまた自分の死に気づかないのだろうと思うから。
それならばいっそ記憶などすべて消えてしまえばいい。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

そして俺はまた貴方を好きになる。
今度こそ心から愛しいのだと言う。
俺は貴方を好きで、貴方も俺を愛してくれて。
たわいも無い会話を繰り返して、共に過ごすのだ。


ああ、それはなんて幸せな悪夢。




「どうせなら最後まで付き合ってくれませんか。貴方の魂・・・・・・俺がちゃんと天まで連れて行くから」




その悪夢を・・・・

自分は見てみたいのです。


俺はずっと・・・・・・・・・貴方を一途に愛してみたかったのです。
















死して後、二人は恋に落ちる。
ようやく裏無き愛情を持つことができた聖職者と、
それを信じることができた愚かで哀れな暗殺者の話。








































































さぁ、もう一枚ページを捲ろうか。
もしかしたらそれは、私ではない誰かが
時を経て書いたものかもしれないが。























































プロンテラの大聖堂の入り口で、壁に寄りかかりながらそわそわと中の様子を伺っているアサシンがいた。
年の功は17.8歳。心なしか物憂げな空気を纏う青年だった。
門の前に植えられた樹木の世話をしていた教会の人間が中に入ることを進めるのだが、アサシンは慌てたように両手を横に振る。

「職業柄どうも中には入り辛くて」

冒険者という位置についても、アサシンという職に引け目を感じる冒険者がいないわけでもない。
教会の人間は、この真面目で陰のあるアサシンに苦笑しながら刈り取った枝を両手に裏に行く。
それと入れ違うように教会の中から走って出てきたプリーストがいた。

「あっわっわっわっ!?」

早速入り口の段差に躓いて体勢を崩しかけたプリーストをアサシンは慌てて支えた。
だが、アサシンもまたプリーストのその姿に驚いてうっかり支える体の力を抜いてしまった。
結果、二人して地面に座り込む羽目になる。

「ご、ごめんっ!平気だった!?」

「俺は平気だけど。・・・・・・・・・・・・・・・・・」

アサシンの青年はプリーストになったばかりの相方を呆然として見ていた。それにプリーストの青年は居心地悪そうに自分の姿を見た。

「・・・・・・・・・変かな」

「いやっ!変じゃないっ!・・・・・・ごめん・・・・・ちょっと・・・・」

アサシンは顔を片手で抑えて目を泳がせた。その顔は赤い。
だが、ふとプリーストの広く開いた胸元から見えるものに気がついてアサシンは驚いたように目を見開いた。
プリーストはその視線に気がついて苦笑する。

「やっぱり、目立っちゃうよね」

プリーストの胸、丁度心臓の脇に当たるところに線の様な跡があった。
まるで短剣で刺した傷跡のような。

「・・・・・・・・・・いつの・・・・」

アサシンはプリーストと会ってから今までの中でこんな傷跡をつけさせるような場面に出会ったことは無い。
プリーストはアサシンの険しい顔に両手を横に振った。
「俺が生まれた時からあったんだよ。本当に痕だけだから痛くもかゆくも無いんだ。でもこの服だと目立っちゃうね」
プリーストは悲しそうな顔で自分の胸元を隠すように手を置いた。アサシンがこの傷を醜いと思うのではないかとそう思ったのだ。

「・・・・・・」

だがアサシンは目を細めて、その手を取った。
不意に沸き起こった気持ちを抑えることすら忘れて、アサシンは身を乗り出すようにしてプリーストの傷跡に口付ける。
驚いて硬直するプリーストを見上げるようにアサシンは言った。

「もう、お前にこんな傷は付けさせない」

それを聞いたプリーストは目を見開いてアサシンを見た。
口づけを受けた場所が熱かった。
まるでそこから血があふれ出すかのように思ったのは何故だろう。
プリーストは目頭が熱くなるのを感じた。

「・・・・・・・・・・・うん」

そして両腕でアサシンの頭を抱えるように胸元に抱きしめる。
プリーストは泣きそうな顔で微笑を浮かべた。


腕の中で感じる熱。
胸から溢れる熱。


「・・・・・・・・・・・・うんっ」


この熱に名を付けるのなら、きっと『愛しい』という言葉なのだと、

そう思った。




























































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