俺は困っていた。 あの夜からエルクの様子がおかしい。まず俺の顔を見ない。夜は俺が抱いていると身体を強張らせたまま寝ようとしない。飯は無理矢理食わせているが、そんわけで元気が無い。 まぁ、男の手でイかされたんだからショックはショックだろうが、ああも深く落ち込まれるとこちらとしても気まずい。 割り切った付き合いしかしてこなかったからかエルクの反応は面倒くさく感じた。 夕飯の買出しがてら露店を覗きながら歩く。プロンテラの町の十字路はさまざまな取引で人が溢れ活気があっていい。 エルクもこういうところに出て気分転換ができればいいのだが、狙われているのかもしれない身の上では外に出すのもはばかれる。 というか、本当にエルクは狙われているのだろうか?この3日、何事も無く平穏な日々を送れているのでそんなことを思ってしまう。 あれからまだアリエスは追い出したギルドメンバーの捜索に当たっているようだった。4人のうち3人は見つかったものの、後1人が見つからないらしい。そしてやはりというかよりにもよってその1人がエルクのソードメイスを奪っていたらしい。 もし売りに出されていれば俺も手伝えると言うのに、エルクはもちろんアリエスもソードメイスの特徴を俺には教えなかった。 火のソードメイスと言うのだから名前入りなのは間違いが無いだろうが、その鍛冶屋の一点ものでない限りはまず自分のものだとはわからないだろう。だがアリエスは一発でわかる特徴だから心配する必要は無いといっていた。 だから何故その特徴を俺に教えない。 「・・・・・・・・・」 ふと立ち止まり向けた視線の先にメガネがあった。 そういえばエルクが倒れていた時もメガネをしていた。ぐしゃぐしゃになってかけることなどできないが、今は無くとも平気らしい。理由はわからないが、もしかしたらもともとだてメガネだったのかもしれない。 「・・・・・・・・・」 「あの子にメガネはもう必要ない」 俺の考えを読んだかのようなタイミングのよさで横に立った男が言った。 その耳から侵されるような声にぞくっと背筋が震えた。思わず身を引き、見た目の前にいた人物に俺はいぶかしげに目を据わらせた。 そこには少し癖のある柔らかそうな金髪の背の高い男ハイプリーストがいた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 いたのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・その格好が恐ろしいまでにおかしかった。 スピングラスに白い髭、そして黄金の冠のような頭にはアホのような天使の輪がのっている。 自分と同じ伝承者たる存在といえども、これはちょっと頭が沸いているとしか思えない。 顔を引きつらせる俺に、ハイプリーストは目の色も見えないスピングラスの向こうで笑ったようだった。 「エルクに土産を買う気なら、クッキーにするといい。あの子は甘いものが好きだから」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 何気なくでてきたエルクの名前に俺は相手に気づかれないように警戒心を強める。 エルクがうちにきてまだ3日だ。誰にもエルクのことは話していないというのに、この男は確信を持って俺に近づいてきたようだった。 エルクを襲わせたやつか?いや、それは男プリーストだと言っていた。こいつじゃない。 男は露店の出されているものの中から菓子包みを手にとって俺に押し付けるようにして一歩近づく。顔が近くに迫り、そして俺にだけわかる小さな声で言った。 「どうか、あの子を守って欲しい」 切実さを感じるほど真剣な声、そしてスピングラスの向こうから見えた真摯な瞳。朱金の瞳が俺のなかを探るかのように細められた。 「・・・・・・・・なにがあろうと教会にだけは渡すな」 低い声でそう言って身を離し背を向けた。俺の手に、菓子包みを残したまま。 「待て!あんた誰だ!?」 「・・・・・・・・・・・」 問いかける俺にハイプリーストは背を向けたまま歩き出す。答える気がないのかと追いかけようとした俺に、ハイプリーストは軽やかな優しい声で耳元で囁くかのような『耳打ち』をした。 『・・・・・・バド・クォル』 それが名を問いかけた自分に対する答えだと気が付き、俺は立ち尽くす。 それは最近巷を騒がす名前。 天上の声、空高らかに透き通るかのような歌声をもち、上級天使をも招く者。 「まさか、あいつが・・・・・?」 うっそだろと呟いた。 唖然とする俺は、手の中にあるものが菓子包みだけじゃないことに気が付いてそれを持ち直した。 間違いなく露店で売られていたものではない。だとしたらあの男が押し付けてきたものなのだろう。 「これは・・・・・・」 俺はそれを食い入るように見つめた。 純白というよりもさらに白く、まるで真珠の粉を散りばめたかのような不思議な輝きを放つ鳥の羽。 天使の羽根と言われれば納得してしまうほどそれは美しいものだった。 細身の長身に金の髪、麗らかな声。 噂のバド・クォルは・・・・・だが、おそらく変装のためなのだろうスピングラスと白髭と天使の輪が恐ろしいまでに似合わない男だった。 ++++++++++++++++++++++ 「お前に」 そう言って俺の掌よりも長い白い羽根をエルクに差し出した。 エルクは穢れない真っ白な羽根を驚いたように見つめ、そして大切そうに両手で受け取った。 そして俺に向かって小首を傾げるエルクにため息をついた。 「たぶんお前にだろ。町の中歩いてたら不審者丸出しの金髪のハイプリーストに会ってな」 俺はさっきあった出来事を話した。だがエルクはその男に心当たりが無いようで羽根を見ながら悩んでいた。 「あいつはお前のことを知っているようだった。お前はクッキーが好きだと・・・・これを押し付けてきて」 うっかり出し損ねていた菓子包みをカートの中から出してエルクに渡す。 「で、あいつが俺に名乗った名前が『バド・クォル』だってんだから何の冗談かと思ったぞ」 「――――――-!」 バド・クォルと言った瞬間、エルクは身体を強張らせ、手から菓子包みを落とした。慌てて屈んで拾おうとするエルクの顔色は悪くて、明らかに動揺しているのがわかった。 「エルク?」 屈んだまま菓子包みを持つ手が震えている。 俺はエルクの前に片膝を突いて顔を覗き込んだ。 「バド・クォルになんかされたのか?」 「・・・・・・・・・」 エルクはまた身体を硬くして、肩をすくめたまま首を横に振る。だがその様子は尋常じゃない。 エルクがこれではあの男が言っていた言葉もどのくらい信用してもいいものかどうかわからなくなる。 「エルク。お前の意見を聞きたい。お前・・・・・・、教会に行きたいか?」 俺がそう言った時のあいつの顔は、恐怖で泣きそうなほどゆがめられていた。そしてもげるかと思うほどに激しく何度も首を横に振る。 「・・・・・っ・・・・」 俺のジャケットを掴んで俯きながらイヤだと態度で示すエルクは半狂乱状態になっていて、俺はしがみ付いて来る小さな身体に驚きながらの肩を抱いて宥めた。 「連れて行こうだなんて思っちゃいねーよ。だから安心しろ」 俺の言葉が通じているのかわからなかったが、顎をなぞって髪を撫でた。 混乱状態の子猫のような体を支える。 「お前はここにいろ」 自分にもたれさせるほど強く背中を抱いてそう言えば、エルクは次第に落ち着きを取り戻し始めた。 そして戸惑いながら涙を浮かべた目で俺を見上げた。 その目に浮かぶのは、俺の言葉へのささいな疑問。 「・・・・・・・・・・・・・」 幼き聖職者は細い身体に黒と赤の法衣を纏っていた。ボタンが外されたところから覗く白い肌はひどく目に痛い。 首から下げられた金の十字架に手をかけるとリングに沿って項まで指を滑らせた。細い首は片手で殆ど覆える。 感じたのか熱こもる瞳が切なげに瞬き、俺は雰囲気に流されるかのようにエルクの顔に触れて口付けた。 薄くとも柔らかな感触。 エルクの濡れた睫がふるえ瞼が閉じられていった。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 俺は頬を撫で、唇に優しく押し当てるだけのキスで唇を離した。 吐息すらも柔らかく感じて、俺の中に残ったは罪悪感だった。 「・・・・・・・・・悪ィ・・・・・」 俺はエルクを置いて立ち上がった。そして背を向けて部屋を出る。 「夕飯はスープの残りとそこら辺のパンでも食ってろ」 かろうじてそれだけ言うと、俺は玄関のドアを後ろ手に閉めた。 普通に歩いていたつもりの歩調はだんだんと速くなっていた。 欲情した。 濡れた目ですがるように見上げてくるのが悪い。 骨が浮き出て抱き心地の悪い細い体でも食いつきたくなった。床に倒して法衣を開いて肌に手を這わせて。 抵抗しても俺には何の障害にもならない。俺はあいつの細い両手なんて片手で掴んで床に押し付けることができる。 エルクは泣き叫ぶだろうか。それともこの間のように嗚咽を堪えようとするだろうか。 手の平に残るあいつの熱が蘇るのも想像に拍車をかけた。 だが不思議なことに、突っ込んで自分が得る快楽よりもあいつの肌で返す反応が思い浮かぶ。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 やばい。 自分が節操なしだとは自覚していたが、あんなガキにまで本格的に欲情していたら世話ない。 それにエルクはアリエスにと思っていたはずなのに。 ああ、そうだ。俺は唯、あずかっているだけの気持ちだったはずだ。 さっきも何でさっき謝ったりしたのか。キスよりもっとひどいことをしたときだって何も感じなかった。 だが、さっき沸き起こった罪悪感に、ついて出た言葉は戻らない。 あいつは人のことを嫌うことはないだろう。 だが、俺に対する恐怖心はあるはずだ。あの夜からあいつの様子はおかしかったから。 なら何故あいつが俺の部屋にまだいるのかという疑問がわく。 「・・・・・・・・・・」 それも少し考えれば答えは出る。 さっき教会へと言った時のエルクの反応は尋常じゃなかった。そして冒険者達を使ってエルクを襲わせたのもプリーストだ。恐らく教会に何かがあるのだろう。 それに加え、エルクには帰るところもほかに無い。 エルクが俺の部屋にいるのは、そこしか居場所が無いからだ。 だから、俺は勘違いしてはいけない。 エルクは抵抗しなかったんじゃない。 できなかったのだ。 あのすがるような目も、しがみ付く手も、唯の都合のいい保護者を求めてのことなのだから。 「アリエス」 耳打ちで女アサシンを呼び出す。暫く間があって無愛想な女の声が聞こえてきた。 『何だ』 取り込み中かと思ったが無理なようならもとから返事などしない女だ。 用件を聞いてくるその声に甘えることにした。 「預かることが出来なくなった。ガキを引き取りにこい」 『ほう。・・・・・・・・・だが、断る』 暫く間があってのはっきりとした返答に思わず体が傾き倒れそうになる。 『こちらにも事情がある。・・・・・・・・・そういえばエルクのソードメイスを探しがてら、襲わせたプリーストを捜索しているのだがどうもきなくさい話にぶち当たったぞ。・・・・・お前、バド・クォルを知っているか?』 俺はその名に驚いた。本当に今日は驚かされる日だ。 「知ってるも何も・・・・・、さっき会ったばっかりだ。金髪のスピングラス・白髭・天使の輪をした変態ハイプリーストだった。それに・・・」 さっきあったことを簡略にアリエスに伝える。 『ほぉ。その男が本物のバド・クォルだとしたら噂はやはり本当のようだな。・・・・・大聖堂は今、行方不明のバド・クォルを必死で捜している』 「は?」 いきなりの話に俺は道の真ん中で立ち止まる。そして人気の無い道はずれに行って建物の影に入り壁に寄り掛かる。 『一週間前、大聖堂の中で大切に保護されていたバド・クォルが忽然と消した。大聖堂は誘拐とみているらしい』 俺はそしてようやくバド・クォルと名乗るあのハイプリーストが一人でいた違和感の理由を悟った。 この世に二人といない特別な存在だ。攫われる理由は数多くあるだろう。 だが今日会ったハイプリーストは間違いなく一人だった。 誘拐というより逃亡したというほうがしっくり来るくらいに明るく、脅された様子も無いように思った。もしかしたらバド・クォルのあの姿は自主的な変装だったのかもしれない。ある意味目を引く姿ではあったが。 でも何故? バド・クォルの名はもうすでに人の口伝に広まっている。その存在を求める者は後を絶たないだろう。彼にとって街の中に出るより保護されている方が安全のはずなのに。 『そいつはエルクとどんな関係があるんだ?』 その疑問に俺はさっきのエルクとの会話を思い出す。 「わからん。エルクはさっきバド・クォルの名に過剰反応を起こした。無関係じゃねーな」 もしかしてバド・クォルが消えた理由にもなにか関係しているのか? だとしたら・・・・・・・教会に戻すことはたしかにまずいかもしれない。 もしエルクがバド・クォルの失踪に関わっているのであれば、エルクを匿っている自分もまずい立場に立たされる。話を聞きたかったが、あの様子では詳しく聞き出すことも出来そうにない。 『私は昼間捜索に当たるため、家にエルク一人残すことになる。お前の傍の方がまだましだ』 アリエスの言うことは理解できるが。俺は頭をかいて唸った。 『そういうわけだ、ろくでなし。今、ソードメイスを奪った男の情報を掴んだ。近いうちに顔は出す』 そう言ってアリエスは耳打ちを切った。あわてて呼び出しても反応は返ってこなかった。 結局押し付け損ねたことに歯噛みしながら、俺は夕暮れの街中をあてもなく歩いていった。 一夜の恋人を求める者が溢れる酒場でひっかけた女を抱いて、それでも晴れない気持ちを抱えたまま夜明けのプロンテラを歩き家に帰る。 中にいるエルクを起こさない様に玄関を開けて中に入ると、ベットは平たいままで使われた形跡が無かった。 「――――っ」 俺は目を見張って周囲を見渡し、壁際においてあったソファにプリーストの厚手の法衣を毛布代わりにして眠る塊を見つけてほっと力を抜いた。 「・・・・・・・・・・・・・」 安堵したら今度は苛立ちが沸き起こる。 まだ朝は肌寒いとこの間言ったばかりなのに、こいつはベットにも入らずこんなところで寝ている。風邪引いたらどうする気だ。 俺はベットに移動させようと、起こさないように気をつけながらその身体を掬う様に抱き上げた。 だが、エルクと法衣の隙間から何かが落ちて音を立てた。 カターンっと落ちたそれは櫛だった。俺が渡したやつだと気づいた時には、音に目を覚ましたエルクがうっすらと目をあけた。 そして、俺を見て驚いたように口を開いた。その唇が俺の名前を呼んだような気がしたが、声としては出なかったから気のせいだったのかもしれない。 夢うつつに薄く微笑もうとしたその表情が、ふと何かに気が付いたように強張る。 その頃には完全に目を覚ましたようで、エルクは俺の胸に手をついてつっぱねようとした。 「っ」 すでにエルクを抱きかかえていた俺は、その身体が落ちないように慌てて抱え込むが抵抗がやまないことに歯噛みしながらベットに半分放り投げるように下ろした。 「・・・・・・寝るならこっちにしとけ」 内心荒れ狂う苛立ちは押し隠して、それだけ言って俺は部屋の中においていたカートの中から厚手のマントを出して、さっきまでエルクが寝ていたソファーに横になりマントを被った。 エルクが起き上がってこっちを見ている気配がするが、拒絶だけ漂わせて背を向けた。 だが込みあがる苛立ちに眠れるわけが無い。 何故、苛立つのかわからないわけではない。 自分を見て微笑むその表情に心動き、その後現実に戻ったかのように抵抗したその様子に心動かされた分だけショックを感じた。 お前は一体誰に微笑んだ? 何で俺がこんなちんくしゃにと思うと嫉妬も素直に認めることが出来ない。 ましてや惹かれかけているかもしれないなんて。 自分は唯の保護者で、エルクのことが気になるのは気ままでにない相手だからだ。 そう思うことにした俺は、今でも十分振り回されている自分に気がついてため息しか出てこなかった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |