チャイムの音に目が覚める。
部屋の中はすでに明るく、俺はソファの上で身体を起こした。目覚めがいいとはとても言えないが、人の足跡に顔を向ければ玄関に行ったらしいエルクと、アリエスがいた。
アリエスはなにやら白い布に包まれた人の腕の長さほどのものを持っている。
「まだ寝ていたのか」
「・・・・・・・・・・・・うるせー。何だ朝から」
「うむ。エルクに話があるから、お前はちょっと外に出てろ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
寝起きのこの家の主に出て行けと当然のように言い放つアリエスに俺は額に手を当てて唸った。
「私はエルクに大事な話がある。外で話をしてもいいが、エルクが外に出るのは控えた方がいい。よってこの部屋での話を所望する。となるとお前が邪魔だ」
「大事な話ぃ・・・・?」
「お前にも関わりがある話だ。・・・・・・・まぁ、悟れ」
アリエスは頬をうっすら染めて頬に手を当て、珍しく、しなを作る。
語るわけではなく、悟れといわればエルクの前では言いにくい事なのだろうということはわかる。
そう言われて昨日俺がアリエスにエルクを引き取れと言ったことを思い出した。
それに、アリエスが持っている白い布の塊は丁度ソードメイスの長さだった。
アリエスのらしからぬ態度に、もしかして告白するのかと俺はやっと気が付いた。
「・・・・・・・わかった」
いろいろと気になることはあれども、俺は立ち上がり毛布代わりに使っていたマントを戻し、顔だけ洗ってカートを引いて出て行こうとする。
エルクが不安そうな気遣わしげな視線を向けてくるが、視線を合わせることなく俺は出て行った。



プロンテラの十字街で俺は露店を出しがてら座り込んでいた。
カートに寄り掛かり、タバコを吹かして空を見上げる。
透き通るような青く遠い空。雲ひとつ無い晴天。
だが俺の心は一向に晴れやかではなかった。

「・・・・・・・・・・・」

元からわかっていたことだった。
まだ深みに嵌まっているわけじゃない。
あの手の15.6の子供がどうしても欲しいほど、そこまで惚れているわけじゃない。
あのアリエスに告白されてエルクはどうするだろう。
初対面こそ最悪だったが、アリエスは話してみればさっぱりとしたいい女だ。
気は強いわ人の話は聞かないわ、わが道を行く女だが・・・・・・・。と考えて、付き合うとなったらきっとエルクはすごく振り回されるだろうなぁと予想がついて渋面になる。

「何を百面相しているのだ。ろくでなし」

いつのまにいたのか、敷物の上に商品をならべたその向こう側に、見覚えのある人物が膝を突いて俺の作ったソードメイスを見ていた。
「おま・・・・・・っ!」
「なかなかいい業物を作るな。ろくでなしのくせに」
天使のわっかにスピングラスと白髭をしたハイプリースト、バド・クォルがなにやらトゲのある口調で言った。
「・・・・そりゃありがとうよ。バカ・ドアホ」
「バしかあっとらん」
「てめぇの本質には添っているだろうが」
それにバド・クォルとは天上の声を持つものに与えられる称号のことでこの男の本名ではないのだろう。
こんな往来でその称号を呼んだ日にはちょっとしたパニックが起こりかねない。今日露店を回った際に聞こえてきた噂は昨日アリエスに聞いた話そのままだったから。

いわく、バド・クォルが教会から消えたのだと。

今も隣で露店開いているアルケミストと客がそんな話になっているところだった。
「バド・クォルを独占したいギルドが賞金かけて探し回っているそうよ」
「そりゃ大聖堂も大慌てよねー。でも、バド・クォルがどんな人物かは教会しか知らないんでしょ?男としか私も聞いたことないし」
「どんな人なのかな。天使を呼び出すくらいなんだからきっと清廉潔癖とした素敵な人よ」

いや、唯の変人だ。

その噂の人物は俺を見てにやりと笑った。
「支援してやろうか」
「いらん」
「なんだ。私の噂を知らないわけではないのだろう?」
喉の奥で笑うその声は確かに清清しい麗しさを持っていた。が、俺はタバコを噛んだまま眇めるような目で目の前のハイプリーストを見た。
「あんたがどんな綺麗な声を持っていても、俺が気分よく打てなければ意味がねぇ」
プリーストのグロリアは製造するものに祝福を与える。俺も今まで何十人、何百人ものプリーストのグロリアを聴きながら製造したことがある。だが、だからこそわかるのだ。
グロリアにもそのプリーストの本質が現れる。
気高く歌う者、優しく包み込むように歌う者、時に傲慢に、時に泣きそうなほど切なく。
歌声は人を表す。気の合わない人間であればその声は不快にしか聞こえない。
だから俺が製造で支援を必要とする時、プリーストの条件は一つ。
俺が気に入った人物ということだけ。
実際気に入ったプリーストと気に入らなかったプリーストと組んだ場合の成功率は明らかに違った。
今まで支援契約の申込みも多々あったが、大抵が俺の肩書きに目がくらんでいる人間ばかりで軒並み断っている。
たとえバド・クォルだろうとなんだろうと、俺が気に入らない人間の歌で製造はしない。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
矜持を傷つけられ怒るだろうと思ったバド・クォルは、だがにやりと笑った。
「なるほど」
「俺も聞きたい。エルクはお前のこと知らなかった。お前・・・・エルクとどんな関係だ」
「私が一方的に彼のことを知っているだけだ。会ったのも大聖堂で一度だけ。お前の説明ではわからずとも仕方ない」
「お前の失踪に関わっているわけじゃないのか?」
「・・・・・・・・あの子にはかわいそうなことをした」
バド・クォルはソードメイスを見たまま哀愁を感じさせる微笑みを浮かべる。そして武器を置き立ち上がった。
「家に帰るといい。エルクたちの話は終わったようだ」
「っ?」
『エルクたち』と言った。俺はこの底知れぬ男に警戒心を改めた。
この男はどこまで知っているのか。これもバド・クォルの能力とでも言うのか?
「あの女アサシンもなかなかいい女だな。・・・・・・・あの子を頼んだよ。くれぐれも教会には見つからないようにしてあげてくれ」
「・・・・・・・・・・」
バド・クォルは背を向けまた人ごみにまぎれるように消えていった。






バド・クォルの言葉は半信半疑だったが、実際戻ってみると俺の家にはエルク一人しかいなかった。
俺が帰ってきたのに気が付いたエルクが玄関までやってくる。大き目の法衣がふわりとスカートのように広がる。
「アリエスは?」
てっきりアリエスが告白してエルクと一緒に自宅に連れ帰ったものと思ったのだが、予想が外れた。
エルクは口を開きかけたが声が出ないことを思い出したのか、口を閉じて俯いた。
「帰ったのか?」
エルクは顔を上げて、こくっと頷いた。
「お前、一緒に行かなかったのか?」
「?」
「アリエスに言われただろ?」
「・・・・・・・?」
エルクは不思議そうに小首を傾げた。その仕草は何かを隠している様子も無い。
俺はカートを定位置に戻してソファにすわり、冒険者証を出すとアリエスの名を呼び出した。

「アリエス。今大丈夫か?」
『ん?なんだ、もう戻ったのか?』
アリエスと話すのに気を使ったのか、エルクはベランダのある隣の部屋に行った。
「何でエルクがここにいるんだ」
『なんだ。また問題でもあるのか?』
「お前、ソードメイスを取り返してやったんだろ?朝持ってたのはそれじゃなかったのか?」
『いや、間違いなくエルクのソードメイスだ』
「だったら、今日告白するチャンスだったろうがっ。一目惚れだったんだろ?俺まで追い出しておいて・・・・っ」
『さっきお前が誤解するように立ち振る舞ったのは認めるが、あんな芝居をそのまま信じるとは思わなかったぞ。私はエルクに惚れているが、相手の心が別にあるのがわかっていて無理強いするほど悪趣味ではない。ソードメイスを取り戻したのも、ひとつのけじめだ。エルクには私の気持ちは伝えていない』
「はぁ?」
アリエスの竹を割ったかのようないいようも驚いたが、エルクの心が別にあるということが一番驚いた。
何気にショックを受けている自分のことは横においておいて、俺は気になったことを聞いてみた。
「じゃ、なんでさっき俺を追い出したんだ?」
『決まっているだろう。お前に聞かれたくない話をしたかったからだ。あとはエルクに聞け。私はこれからエルクを襲わせたプリーストをシメにいく』
「・・・・・・・・・・・」
一方的に切られた通話に俺はソファの背に寄り掛かる。

何。それ。

『言い忘れてた』
いきなり聞こえてきたアリエスの声に驚いて身体を起こす。

『エルクを泣かせたら、私が許さん』

冷ややかな剣を思わせるような声は本気だった。
ぞくっと背筋を振るわせたのは、もうすでに遅いからだろう。
それ以上の通話はなく、一つため息をついた俺は、立ち上がってエルクが消えた隣室に向かう。
エルクはベランダに出て日差しを浴びていた。このベランダは通りから死角になっていて高いところから見下ろさない限りは姿を見られることは無い。
気持ちいい風が吹いていて、白銀の髪がさらさらと靡く。エルクは何かを両手で持っていてそれを眺めているようだった。
「・・・・・・エルク」
「!」
声をかけるとエルクは肩を震わせて慌てて振り向く。持っていたものは後ろに隠している。ちらりと見えたものはソードメイスで、きっとアリエスが取り返したものなのだろう。
どうやら俺には見せたくないらしい。俺は面白くなくて髪をかきあげならベランダに出た。
「取りゃしねーよ・・・・・・。さっきアリエスと何を話したのか聞きたいだけだ」
そう言うと、エルクはとたんに顔を赤らめて俯いた。そしてそわそわとしながらだんまりを決め込んだらしい。
ちょっといきなりすぎたかと思って、俺もエルクの隣で手すりにもたれながら、世間話がてらさっき会ったことを話した。
「さっきまたバド・クォルに会った」
「っ!」
紺の瞳が見開かれる。
「お前とは一度会ったことがあるだけだと言っていた。お前のことを気にかけているようだったが、本当に心当たりが無いのか?」
「・・・・・・・・・・」
エルクは思いつめたような顔で首を横に振る。
「そうか・・・・・・」
エルクは気遣わしそうな顔で俺を見上げてくる。邪気の無い紺の瞳に和みながら髪を撫でた。ちゃんと毎日櫛を通しているのかさらさらと指を通る。
「お前・・・・行くところがないならここにいるか?」
「・・・・・・・・・・」
エルクは驚いたように俺を見た。
「声が戻るまででもいいし、お前がいたいだけいればいい。家賃はそうだな・・・・お前のグロリアを」
拾った時に見た冒険者証に記載されていたスキルにはグロリア習得も示していた。プリーストになってそのままグロリアを取ったらしいようなスキル振りだったので気になって覚えていたのだ。

エルクは呆けたように俺を見上げ、そして目を細めて嬉しそうに微笑んだ。

その笑顔が、昨夜腕の中で見た微笑を思わせて俺は驚いて手を引いた。ばつが悪くなって手すりにまたもたれると何でもないように頭を掻いた、
「まぁ、俺も製造だしな。プリーストが近くにいると助かる」
そんな心にも無い言い訳を呟いて背けた顔に熱上がるのがわかる。
まるで暖かい陽だまりのような笑顔だった。がりがりのちんくしゃのくせに・・・・・。
ちくしょう。
でも、こんな笑顔を向けてくるのだから、いつか俺に振り向かせることも出来るかもしれない。
こいつに好きな人間でいても関係ない。
俺を選ばせればいいんだから。
俺はエルクの様子が気になってちらりと視線を向けた。
「しかし『バド・クォル』の支援も断った俺がお前がいいって言ってんだからなァ・・・・・」
まだその歌声も聴いたことが無いと言うのに。
俺の言葉にエルクが驚いたような表情をしていた。
『バド・クォル』のことは知っているのだろう。その歌声の祝福があればどんな製造でも思うままなのだと。
それを断る俺を不思議に思ったのだろうと、俺はエルクを安心させるように言った。

「俺に『バド・クォル』は必要ないからな」

「・・・・・・・・・・・・・・っ」
そう言った瞬間、エルクの表情が凍りついた。
明らかに様子の変わったエルクの震える手から重いソードメイスが落ちた。
だがそれは運悪くベランダの手すりの隙間をぬって二階から下に落ちた。
「!」
エルクが慌ててベランダから身を乗り出して下に落ちたソードメイスを見ると、踵を返して部屋に戻りそれを取りに行こうとした。
「待てっ」
俺が慌てて手を伸ばしたが、掴もうとした手は届かなかった。
エルクは玄関から外に出る。俺はそれを追いかけていくが追いつかない。
「エルク!待て!」
エルクは階段を下りてベランダのある裏に回った。建物の影に消えたエルクを追い、角を曲がる。
「!」
そこにいたのはエルクだけではなかった。青髪を肩まで伸ばしたプリーストがその向こうに立っていた。その手にはエルクが落としたソードメイスが握られている。恐らく拾ったのだろうソードメイスをじっと見ていた。
「・・・・っ」
エルクはその青髪のプリーストを見て立ち止まり、一歩下がった。その様子に俺はエルクに関係のある人物だとわかった。

「・・・・・・・・このソードメイス・・・・。もしかして・・・・先輩?」

青髪のプリーストは驚いたようにエルクを見てそう言った。エルクはまた一歩下がる。
そしてプリーストは背後に立つ俺に気が付いて目を見開き、疑惑と不信を宿して睨んだ。
「あんたはカーマインだろ・・・・・。なんであんたが先輩と一緒にいるんだ・・・・?まさかあんたも先輩を利用しようってのか!?」
「?」
青髪のプリーストは怯えるエルクの腕を掴んで引く。
「先輩っ。皆捜してますっ!俺と一緒に来てくださいっ!」
「っ!!!」
エルクはいやだと首を横に振って地を踏みしめるが、体重が軽い所為でずるずると引き摺られていく。俺はエルクの身体に腕を回してそれを止めた。
エルクを狙っているのはプリーストだというのが頭に引っかかっていた。
「――――!」
エルクを抱いたままプリーストの腹を蹴りつける。
だが、相手も堪えることに特化しているのか足を踏みしめて倒れることはなかった。
「エルク、逃げろ!」
「っ」
エルクは戸惑ったように首を横に振る。俺の心配をしてくれるのは嬉しいが、その小さな身体を背後に押しやる。
そして青髪のプリーストを見た俺は、背後から来る足音に振り返って舌打ちした。見ればプリーストやモンク、クルセイダーまで人垣が出来るほど集まってきてこっちを警戒していた。
野次馬でないことは彼らの目つきから明らかだ。 どうやらこのプリーストが呼んだらしい。
エルクがプリーストの一人に腕を掴まれた。
「っ」
怯えるエルクに俺が駆け寄ろうとすると強そうなモンクやクルセイダーが間に割って入る。こっちは武器も持ってない丸腰で、相手はやる気満々だ。とてもじゃないがこの状況は打開できそうになかった。

「てめーか。『バド・クォル』を拉致ったのは」

モンクの一人がそう言って拳を構える。

「濡れ衣だな」

『バド・クォル』は今頃街中を闊歩していることだろう。

「ぬかせっ。骨一本は覚悟するんだなっ!」

そう言って気の塊を浮遊させる。明らかに阿修羅の構えに俺は奥歯をかんだ。

「止めて!」

その時、少年の声が場を切り裂くかのように響きわたった。
俺だけでなく、その場にいた者たちの視線が声の主・・・・エルクに向かう。

「・・・・・・・カ、カーマインさんは・・・・襲われた僕を助けてくれた人です。・・・・・・大聖堂に連絡を入れなくてすいません・・・・・っ。帰ります・・・・帰りますからっ!カーマインさんを、傷つけないでくださいっ!」

頬に伝う涙が落ちる。しゃっくりを堪えるような声は震えていた。
エルクの声が戻っていることにこんな時だと言うのに驚いた。
「お願いです・・・・」
エルクは今にも崩れ落ちそうな弱々しい姿だった。エルクの腕を掴んでいたプリーストが確認するかのようにエルクに聞いた。
「では、あの男は貴方を攫った人間ではないのですね?」
「違います。僕が一人で・・・・・・大聖堂から逃げ出したんです。彼は途中襲われた僕を助けてくれただけです」
「何故そんなことを・・・・・。まぁ、いい。話は大聖堂で聞きます。主教様も心配しておられます。あなたは特別な存在なのですから勝手をしては困ります」
「す・・・・・すいません・・・・」
エルクは今にも消え入りそうな声で謝った。
「んー・・・・じゃ、こいつはほっといていいんだな」
モンクは戦闘体勢を解いてこっちに背を向けた。エルクの背を抱き促されるままこちらに背を向けた。歩く前にこちらを濡れた紺の瞳で見た。辛そうに細められた瞳からまた雫が零れ落ちる。

「ごめんなさい」

エルクは人々の影で見えなくなった。人垣はエルクを守るようにして去って行く。
ただ立ち尽くす俺の前に青髪のプリーストが来て、エルクのソードメイスを俺に突きつけた。受け取る俺にそのプリーストは目を細めて俯く。

「・・・・・・・・・・『バド・クォル』は大聖堂で保護されて外には出られない掟だ。最後の『審問』が終わる前に・・・・・先輩はきっと・・・・・あんたに会いたかったんだ」

どういうことかと聞こうとした俺に背を向けて、青髪のプリーストもすぐ建物の角の向こうに消えていった。
あの青髪のプリーストの台詞は、まるでエルクが『バド・クォル』だと言っているかのようだった。
俺は唖然としたまま受け取ったソードメイスを見る。

古いものだ。

酸化して黒光りしているが、汚れなどはないそれの銘には・・・・・・・俺の名前があった。
そしてもうひとつ。特徴があると言っていたそれ。


刃に刻み込まれたもう一つの文字。



 Bring me near, Draw me to Your side.

 And as I wait, I'll rise up like the eagle.


  御側に抱き寄せたまえ
  あなたの愛の中
  鷲のように私は昇る




「・・・・・・・・まさか・・・あの時の」

忘れるわけが無い。
普段、銘しか掘らない自分が唯一彫ったことがある聖歌の一文。

それは俺が転生する日のこと。

ジュノーで会ったアコライトの少年に渡した火のソードメイス。
あの日のことを思い出した俺は、唖然としたままエルクが消えた方向を見たまま暫く立ち尽くしていた。

















・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・














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