最近、製造をする者達、特に鍛冶屋や製薬関係者の間で話題になっている話があった。
曰く、今生に『バド・クォル』が現れたと。
『バド・クォル』とは、天の声を表す言葉であり、天の声を授かった者のことを言う。
『バド・クォル』の条件は一つ。

その歌声で上級天使を呼び出すこと。

日常で祝福を与えてくれる天使とは違う。更に上級の天使をだ。
その声は清らかで美しく、人々に大いなる祝福を与え、時に争いすらも沈める。
当然そんな声を持つものなどそうめったに現れるものではない。現に以前『バド・クォル』が現れたのは200年も前だという。
それが今この世界に現れた。しかも教会の聖歌隊に属するプリーストだと言う。
製造に関係するものはこぞってこの話題を持ち出す。それはそうだ。『バド・クォル』のグロリアは並みの冒険者のものとは格が違う。もしバド・クォルを手に入れることが出来ればどんな難しい製造も思うがままだ。
しかし、『バド・クォル』は大聖堂で保護されるのが決まり。大事な祝賀会などでしか歌わないのだという。


『バド・クォル』はエルクだった。

まだ14.5の貧弱な身体。気の弱い性格。
俺が切ってやらなかったらいまだぼさぼさ髪だったろう、みすぼらしい姿のプリースト。
人々の想像からかけ離れた姿の本当にどこにでもいる少年。

そして、俺をまた製造に駆り立てたあの歌声の持ち主。


アリエスが掴んだ情報では今日大聖堂で、エルクが『バド・クォル』であることを確認する最後の『審問』が行われるのだという。

「お前、知っていたのか」

『私が知ったのも、つい先日だ。この間お前を追い出した後エルクに確認した』

俺には聞かれたくなかった話とはそれに関係していたのだろう。

『エルクが初めて天使を召還した日、運悪く主教が見ていたらしい。主教が認めたのだ。言い逃れもなにも出来よう筈がない。今日の審問も形式ばかりのものだ。関係者のみが参加できるその場で、エルクが天使を呼び出せばもうそれで終わる』

俺は大聖堂を見上げた。バド・クォルが戻ったという噂を聞きつけた暇な冒険者達が大聖堂へ詰め掛けていたが、中には入れないらしい。
俺は少し離れたところでその人ごみを眺めていた。
タバコを2本消化して、ため息と一緒に寄り掛かっていた壁から背中を離す。

「所詮、高嶺の花・・・か」

バドクォルの噂を知っても、見ることも聞くことも出来ないじゃ何の役にもたたないと、そう思っていた。
今は少し違う。
見ることも聞くことも出来ないじゃ・・・・・・俺に出来ることなんてない。

3日前まで確かにこの手に届くところにいたのに。

出会いはあまりいい物じゃなかった。
ぼろぼろになったあいつを俺が拾ったのが始まり。
気が弱くてアリエスが持ってきた生爪に気絶したり。
自分を殺そうとした人間を殺さないでとアリエスに願ったり。
小食でも、残さず食べようと一生懸命だったり。
髪を透かせと言ったら本当に毎日朝晩梳かしていた。そのおかげか痛んだ髪も少し柔らかくなってきていた。
腕の中で快感に身をよじって震える姿も。
帰ると玄関先までやってくる姿も。
この家にいるかと、家賃はお前のグロリアをと言った時の笑顔も。
全部まだはっきりと覚えているのに。

お前はきっと俺を知っていた。
ならなんで言わなかった?
声が出るようになっていたのなら尚更。

思い浮かぶのはあいつに最後に言った台詞。


『俺に『バド・クォル』は必要ないからな』


そう俺が言った時のエルクの凍りついたかのような表情。
そして、連れて行かれる前に俺に向かって謝ったあの泣き顔。


「―――――――――-!!!!!!」


握った拳でドンッと壁を殴った。
痛みは感じてもそれが脳までたどりつかない。痛みよりも別のもので胸が痛かった。

「そんなつもりで言ったんじゃねぇよ!!!!」

俺は唯。
『バド・クォル』じゃなくて、ただ・・・・・・お前がいいといったつもりだったのに。
エルクはそう思わなかった。

あまりに自分が馬鹿で、もうどうしようもない。

「・・・・・・・・・・・・」

俯く俺の前に人影がかかる。
荒んだ気持ちで睨むように顔を上げると、そこにはエルクを先輩と呼んだ10代後半の青髪のプリーストが無表情で立っていた。

「・・・・・・・・・・・何だ」

八つ当たり気味に聞く。脅すような低い声にも関わらず、肝が据わっているのかこのプリーストは俺を睨んだ。
そして硬い声で言った。

「先輩があんたを呼んでる」

「・・・・・・・・・・・・・」

「付いて来て」

それだけ言って背を向けるその背に目を見張る。俺を騙してもこいつに何の利もない。それにこの男の表情はこの行動に納得しているものではなかった。
だったら・・・・・。
俺はわずかな希望の糸を掴むかのような気持ちでプリーストの後を付いて行った。
教会の裏口、普段なら鍵がかかっている場所のはずなのに、こいつが予め開けていたのかドアはすんなり開いた。
人一人いないのが逆に不気味な廊下を歩く。
「皆、祈りの間にいるから」
俺の疑問に答えるかのようにプリーストはそっけなくそう言った。

「もうすぐ、そこで『審問』が始まる。先輩はそこで歌うから・・・・・あんたに聞いて欲しいって」

プリーストは足を止めて、声を詰まらせた。

「本当は部外者は駄目なんだけど・・・・・もうこの機会を逃したらきっともうあんたの為に歌うことはできないだろうからって」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「先輩、笑うんだ。一晩中泣いたくせに。目の下を真っ赤にしてるくせに。・・・・・・・・あんたに自分のグロリアを聴いてもらいたいんだって、あんなにがんばってたの・・・俺もわかってたのに・・・・・っ!!!」

プリーストは拳を握ったまま俯いた。その肩が震えている。

「俺は唯・・・・・先輩の歌声のすごさを、先輩を馬鹿にするやつらにわかって欲しかったんだ。でもさっき・・・先輩の笑顔見て後悔した、やっとわかったんだ・・・・・。先輩は・・・・・・・・・・きっともう、心の底から笑うことなんてない・・・」

こっちに背を向けたプリーストは法衣の袖で顔を拭うようにすると右に分かれた道を指差した。

「突き当りを上がっていくと二階フロアに上がれる。そこだったら誰にも見られずに聞けるから」

きっと礼を言われることも辛いだろう。だが、自分をここに連れてきたことを知られればこのプリーストも唯ではいられないはずだ。
黙って心の中でだけ礼を言った。
俺は俯いたまま立ち尽くすプリーストが指差す廊下に向かって歩き出した。

「先輩が、あんたに言ってくれって」

プリーストの声が背中にかかる。

「・・・・・『ありがとうございました』って・・・・・・」

「・・・・・・・礼を言いたいのは・・・・・俺の方だ」

まるで死刑台への道を歩いているかのようだ。
何も感じない。
何も思えない。
この道の向こう、エルクが『バド・クォル』だと認められるのを見てそれで俺は・・・・・どうするのだろう。
だけどエルクが俺に聞いて欲しいと言ったのは、きっと俺がお前のグロリアを聴きたいと言ったからなのだ。
だから俺はこの歌だけは何があろうと聴かなければならない。
エルクがそのためにがんばったというのなら尚更。


そうしないうちに階段にあたり、そこを上がった先のドアをそっと開けた。

「やぁ」

いないと思った人影に俺は目を見開いて驚いた。

「音は立てない方がいい。皆下にいるとはいえ、騒げばさすがに見つかる」

ドアのすぐ傍に立ち、そう言って唇に人差し指を押し当ててひっそりと笑ったのは、天使のわっかとスピングラスと白髭のあの変人ハイプリーストだった。

「・・・・・・・・」

二階フロアの端、カーテンの陰に隠れるように立つ。
眼下には百数十人のプリーストたちや一線を画した神父たちの姿。中央にある一際豪華な椅子に座っているのが主教だろう。
彼らが気にしている正面にはステージがあり、天蓋からステンドグラス越しに差し込む光が色鮮やかに空間を彩っていた。
まだ下には席があるほどに広く、わざわざ遠い位置に当たるこの場所にくる物好きはいないようだった。
一人を除いて。

「・・・・てめぇのことをバド・クォルとか大嘘ぶっこきやがって。てめーの目的は結局なんだったんだ?」

隣でうっそりと笑う胡散臭いハイプリーストは、腕を組んで目の前にある長椅子にもたれる。
「目的か。・・・・・・・そうだな」
ハイプリーストは懐かしそうに目を閉じて物思いにふける。

「昔一人のアコライトがいた。人よりちょっと要領が悪くて不器用で、でも心優しいアコライトは、信心深く朝晩の祈りに神に歌を捧げることが日課だった」

歌が何よりも好きで、しかし極度の人見知りゆえに人前で歌うことは無かった。
ゲッフェンの展望台や丘の上、ジュノーの端。
人目につかない場所で歌うアコライトの声は空高く天まで昇る。その歌声はすばらしく、天に住まう者たちにも愛されるほどだった。
ある日、その歌声を偶然聞いた鍛冶屋がアコライトに手製のソードメイスを渡す。
鍛冶屋は言う。「お前のおかげで大事なこと思い出した。これはその礼だ」と。
アコライトは意味がわからない。
それでも、「今度はお前が歌うグロリアを聞いてみたい」と言った鍛冶屋の言葉はずっとアコライトの胸に残っていた。

アコライトは誰からも期待されることの無い存在だった。
臨公に行くわけでもなく、一人でこつこつレベルを上げる日々。それでも戦うことが好きではなかったアコライトは歌っている時間の方が多かった。
それでもいいと思っていた。
一人で寂しいと思うこともなく、ただ歌を歌い穏やかに過ごせる日々がアコライトには大事だった。

それでも。
自分が誰かの役に立てたのかもしれないと思ったら胸が高揚した。
鍛冶屋の言葉は意味が半分もわからなかったけれど・・・・・・それでも、礼だとくれたこれは幻ではない。
鍛冶屋がくれたソードメイスに刻まれた言葉はさっき自分が歌っていた歌の歌詞。
彼が今自分の為に作ってくれたもの。

アコライトは暖かいソードメイスを抱きしめながら目を閉じた。
さっきジュノーから落ちそうになった自分の身体を抱きとめてくれた鍛冶屋の体温のような温かさを感じた。
冷たく吹きすさぶジュノーの風に冷えた身体を優しく温めてくれた。

鍛冶屋はアコライトのグロリアを聴いてみたいと言ってくれた。
なら、この温もりのお礼にいつか彼の為にグロリアを歌おう。
そしてさっき言い忘れた御礼を言いたい。

『ありがとう』

いつになるかわからないけど。
その時鍛冶屋は覚えてはいないかもしれないけど。
それでも、言いたい。

『ありがとう』

歌を聴いてくれて。
僕を助けてくれて。
素敵な贈り物をくれて。

こんな僕に、目標をくれて。






ざわっと一階から人のざわめきが立ち上る。
ステージの端から現れた影は、小柄なプリーストだった。
いつも着ているぶかぶかの法衣ではなく、身体にあったものをしつらえられたのだろう。ほっそりとしたシルエットのそのプリーストは俯き加減にステージの中央まで歩いていく。
その顔色は青白く、晴れやかな舞台にそぐわない表情は暗く強張っているように見えた。
「・・・・・・・・」
さすがに主教がいる為か、一瞬でざわめきが落ち着く。
しんっと静かになった祈りの間で、プリーストの・・・・・エルクの足音だけが響いた。
中央にある祭壇の前でこちらを向いて主教に向かって礼をとる。
エルクは顔を上げて一階の端から端まで視線を送り、そして二階にいる俺を見つけたのか顔の動きを止めた。
遠く、表情すら見えない距離があるはずなのに、なぜか俺はエルクが泣きそうな顔で微笑んだように見えた。
その姿は子供だと思っていた彼を大人びて見せた。
その表情に胸が締め付けられる。
今すぐ駆け寄りたかった。抱きしめたかった。

だけど、この距離が今の俺と『バド・クォル』であるエルクとの距離だった。

隣でハイプリーストは語る。
「アコライトはプロンテラで聖歌隊の存在を知り、試験を受けた。もっと歌の勉強が出来ると思ったからだ。鍛冶屋に歌う歌をもっと勉強しようと。だが、彼はそこには馴染めなかった。人見知りの気があった彼はいつしか聖歌隊の中で小声でしか歌えなくなってしまった。・・・・・・聖歌隊にはグロリアを習得し特出した歌声をもつ者達のみ集まるファーストと、それ以外のセカンドがある。彼はセカンドの下でずっと歌っていた。転機が訪れたのは、彼が転職してグロリアを覚えた日」

その日は、雲の無い晴天に恵まれていた。穏やかな風、温かな日差し。優しい温もりが彼を包んでいた。
アコライトからプリーストになった彼は一直線にグロリアをとった。グロリアを習得した場合、担当をしている神父に報告するのが聖歌隊に属するものの決まりごとだ。新たな歌い手の誕生に神父は祝福を与えた。

「そして神父が促すままにプリーストになったその子は歌った。普段なら人前で歌うことを苦手をしていたその子は・・・・・ようやく鍛冶屋に会える嬉しさをこらえ切れなかったのだろう」

エルクが胸元に両手を押し当てて息を吸う。

「心の底からの喜び、愛しさ、懐かしき思い出への礼を込めて歌ったのが・・・・・この歌だ」

そして優しく掌で包み込むような声で歌いだした。



 Lord, I come to You, let my heart be changed, renewed,

 Flowing from the grace, That I found in You.



伴奏もなしに歌うそれは、あの日・・・・・・俺が始めてエルクの声を聴いた時に歌っていた曲だった。



 この心変えてください あなたの愛で満ちるように


確かな旋律は祈りの間の隅々まで広がっていく。まるで太陽の光のように。
あの日聞いた歌声は、より伸びやかに深みのあるものになっていた。
ステージの上、天蓋からの恵みの光りを浴びて歌う姿に目を細める。
エルクはずっと視線だけでこっちを見ていた。その目が涙を堪えるかのように閉じられる。



 この弱さも その手に委ねれば誇りとなる あなたの愛で



ああ・・・・・・、これが『バド・クォル』の歌声なのか。
神々に愛される声か。
俺は納得したように目を閉じて聞いた。

初めて聞いた時、俺は過去の自分の姿を見た。
そして今は・・・・・・・エルクと過ごした日々を思い出していた。

短かったけども。
すれ違ってばかりだったけども。
一緒に住むかと言った時嬉しそうに笑ったあれに嘘はなかった。

ただ・・・・今言えるのは自分達には『足りなかった』。
時間も、言葉も、・・・・・・相手を知ることすべてが。

 
 あなたの大きな愛が 私を包み込む

 翼を広げ羽ばたき 力強く上っていく あなたの愛で



「まるで・・・・恋歌だな」

ハイプリーストは呟く。俺は何も言わず、黙ってその声を聞いていた。
ひとかけらも聞き逃さないように。
エルクが俺のために歌う歌を。

『足りなかった』ものを補うかのようなその歌声を。


「グロリアを習得した彼の歌は力を持ち、天上に住む天使をも具現化させた。上級天使が彼に祝福を与えたその瞬間を偶然移動中に出くわした主教も目撃し、彼は大聖堂の奥にある部屋で保護された。外部からの不審人物から守るように、彼が健やかに過ごせるように豪勢な・・・・・・鍵がかけられた檻のような部屋に彼は閉じ込められた」

やっと会えると思った。
鍛冶屋との約束がもう目の前に実現していたのに。
まだ何も言ってないのに。

「一回だけでもいい。一目だけでも会って、一度だけグロリアを聞いてもらえたら。そんな気持ちでなんとか抜け出した彼は、途中で暴漢者たちに襲われる。あの女アサシンから聞いているのだろう。あれは、同じ聖歌隊にいるプリーストが嫉妬でさしむけたものだ。自分より下にいたあの子が自分の上に立つことが許せなかったのだ。・・・・・・・もっとも今はもう、歌えない身になったらしいがね」

ハイプリーストは残酷な微笑みを浮かべる。
まだ俺とアリエスしか知らないはずのことを知っているこのハイプリーストは何者なのだろう。
エルクのことを前からずっと知っている様子が気になった。
だが、エルクはこの男のことを知らないと言う。

「お前に拾われて、エルクは思わぬ偶然に驚いていた。お前はエルクのことを覚えていなかったようだし、お前との生活はいろいろと『刺激的』過ぎたようだが、それでもエルクはお前と一緒にいることができて嬉しそうだった。・・・・・ああ、誤解しないでほしい。エルクの声が出るようになったのはエルクが大聖堂に捕まったあの日の朝だ。大聖堂が心配しているだろうということがわかっていても、連絡を入れなかったのは欲が出たからだ。まだもう少しだけ、お前と一緒にいたいと願う祈りが私にも伝わってきたよ。彼の歌は彼の心自身・・・・・こうして純粋で打算など欠片もない気持ちを向けられる気分はどうだい」



 我が弱さ 取り去りたまえ 力強いあなたの愛で

 我が心 創り変えたまえ 溢れ出る恵みの中で 
 


直向な気持ちがわからないほど鈍感ではない。
こんなにも美しい歌声を、こんなにも心熱くなる歌を俺は聞いたことが無い。

『足りなかった』場所を愛しさで埋められていくのを俺は感じていた。

「・・・・・・・・それでも、あいつは『バド・クォル』なんだ・・・・・・・」

もう共に過ごすことはない。
『バド・クォル』は大聖堂から出ず、大事な式典でのみ姿を現す存在なのだから。
どんなに好きでも、今のこの距離が自分達のこれからの距離なのだ。


「だが、上級天使が舞い降りなければ?」


「・・・・・・・・?」

怪訝な顔をする俺に、ハイプリーストはエルクを見つめながらはっきりと言った。

「もう・・・・・・・彼の歌声に天使が答えることはない」

まるでそれが当然であるかのように。
俺は唖然としてハイプリーストを見た。

「エルクが『バド・クォル』ではないと?」

「いや、彼は間違いなく今まで現れた中でも最高の『バド・クォル』だ。私が言うのだから間違いない。だが、今日天使が舞い降りることは無い。・・・・・・・・それが愛し児のためであるのなら、これから先も姿を表すことはあるまい」

「・・・・・・・・・・・・・お前は何者だ・・・・?」

「・・・・・・・・・・・」

ハイプリーストは口元を上げた。ゆっくりとスピングラスと白髭を取り、そのまま腕を前に伸ばす。
その横顔は精悍さをそなえた非の打ち所が無い美しいものだった。



 御側に抱き寄せたまえ あなたの愛の中 

 鷲のように私は上る 




ハイプリーストの手の中でスピングラスが一瞬で複数の羽根に姿を変えた。
歌声に踊るように羽根が舞う。

「っ」

「『バド・クォル』とは天の声を意味する。だが本来は天の神々の声を地上に伝える天使の名だ。時を超え、・・・いつしかその天使の加護を受けるものの名になっていったがね」

羽根が明らかに増え、金髪のハイプリーストの姿を俺の視界から消して行く。
エルクの歌声が最後の一説を歌う。



 その腕に抱かれ今 羽ばたく あなたの愛で 



同時に、・・・・・バド・クォルの気配が薄れ行くのを感じた。

「待て・・・っ」

思わず手を伸ばしてその腕を掴もうとしたが、そこにはもう羽根しかなかった。

「大事に見守ってきた愛し児をおまえのようなろくでなしに預けるのは業腹ではあるがね。しかたあるまい・・・・・・・私はあの児の幸せが望みなのだから」

その声と同時に終わりを告げるかのように羽が散り、祈りの間全体に降り注いだ。
天蓋から差す光に羽根が溶け込んでいく。
「・・・・・・・・・」
唖然とした俺は顔を引きつらせながらそれを見ていた。

「・・・・・あの野郎・・・・・・天使の輪は自前かよ・・・・」

それは真珠のようなきらめきを持った光となってエルクにも降り注いだ。
舞い降りない天使の代わりのように降り注ぐ光に聴衆は二重の意味でざわめきだす。
その中でエルクは安堵するように微笑みながら、その光に手を伸ばすかのように腕をあげ、そして掌で受け止めたそれをもう片手で包んで・・・・・・・・。

あの日、歌の終わりを告げるように膝を折って祈りを捧げた。






あれから一ヶ月。
俺は大聖堂の脇に植えられている大樹の影に座り込んで手製の武器を磨いていた。
大聖堂から出てくる人影に気が付いて顔を上げると、見覚えのある銀髪のプリーストが出てきたところだった。立ち上がる俺に気が付いたそいつは驚いたように立ち尽くした。
大股で近づく俺に銀髪のプリースト・・・・・エルクが逃げようとする。
前にもこんなことがあったなと軽いデジャヴを感じながら細い腕を掴んだ。
「早速逃げようとすんじゃねーよ。傷つくだろうが」
そう言うと、エルクが首を振ってこっちを見た。俺が傷ついたといった言葉に反応したのだろう。
心配そうな目で俺を見上げた。その視線のまっすぐさに俺は目を細めた。

「・・・・・・こいつを、お前に」

俺はエルクにさっきまで磨いていたそれを渡した。

エルクが連れて行かれた日に青髪のプリーストに渡されたまま預かっていた火のソードメイス。

3年前と違うのはその輝きだけだろうか。
エルクは驚いたようにそれを両手で受け止めて俺を見上げた。
また少し痩せたようだった。
俺はエルクの頬に手を当て、肉の薄さを確認しながらぷにっと摘んだ。
「っ?」
「お前これからどうする気だ?」
「・・・・・・・・・・・」
「行くところはあるのか?」
エルクは頬をつままれたまま躊躇しながら首を小さく縦に振った。
思わず頬を抓る指に力が入る。
「〜〜〜〜〜〜っ」
痛みに目を閉じるエルクを覗き込みながら言った。
「嘘付け。聖歌隊も出てきたんだろ。・・・・・・まぁ、『バド・クォル』ではないことが確認されたんだ。いづらくなってもしょうがねーな」
「・・・・・・・・」
エルクは肩をすくめて痛みに涙を浮かべたまま困ったように俺を上目遣いで見た。どうして知っているのかというその様子に俺はため息をつく。
なぜならそれもプロンテラの町に広がっている噂だからだ。
あれから何度も行われた『審問』でも天使は現れなかった。
エルクが始めてグロリアを歌った日、一度だけ姿を現した天使はエルクのグロリア習得を祝福に来たあの時のみのものだということになったらしい。
だがエルクの歌声は本物だ。『バド・クォル』でなくとも主教がエルクを気に入り、一部では聖歌隊の主席に立てる動きもあったらしいが、エルクが消極的すぎてその話もごり押しができなかったらしい。
そして今日エルクはこうして自由の身になった。
「まぁ、いい」
俺はエルクの身体を抱き上げた。
「え?え?」
軽すぎる身体を肩に担いで、縞模様のカートの屋根を開いて予めすっからかんにしてきたその中にエルクを放り込む。日差しが強いだろうとまた屋根を元に戻すと横からエルクが慌てて顔を出した。
「あ、あのっ」
「まずは飯だな。朝からあそこにいたんだ。腹減ってしかたねー」
「・・・・・・・・」
もう昼も過ぎて子供のおやつの時間だ。エルクは驚いたように目を見開いて何か言おうとした口を閉じた。
それをいいことに俺はエルクを乗せたカートを引き始めた。

「飯か。お前の手料理なら馳走になろう」

プロンテラの塀の影から女アサシンのアリエスが現れる。
予想はついていただけに驚きは無いが、エルクは違ったらしい。目を丸くしているエルクにアリエスが手を伸ばして銀の髪をなでた。
「よくがんばったな」
「・・・・・・・・・・・・」
アリエスの言葉にエルクが震え、目に涙を浮かべた。
それに気が付かない振りをしながら俺はカートを引く。
「今から作ってたら夕飯になんだろうが。材料がねぇ」

「なら、それまではお菓子を食べて空腹をしのげばいい」

もう聞くはずがないと思っていた声に俺は一瞬躓きそうになった。
振り向くと、いつの間にかカートを挟んでアリエスの反対側に天使のわっかにスピングラス白髭のハイプリーストが手にいっぱいの袋を持って立っていた。
「・・・・・・・・っ!!!!!!!」
絶句する俺に構わずバド・クォルはニコニコと満面の笑みを浮かべてエルクに向かって手に持っていた菓子包みの山をカートの中に次々と放り込む。
「エルクは痩せすぎだな。甘いものをとって少し肉をつけないと。そうすればもっと愛らしくなる」
「・・・・・・・・・・?」
不思議そうな顔で見上げるエルクは恐らくこいつに会っているのだろうがわからないようだ。
そりゃそうだろう。
初めて会った時は空から降ってきた上に、こんなおかしな格好ではなかったろうからな。
恐らく自分を知っているらしいおかしなハイプリーストとしか思っていないはずだ。
エルクを見ながらだらしなく相好を崩しているバド・クォルの胸倉を掴み、引きつる顔を寄せて小声で話す。
「てめー『おうち』に帰ったんじゃねーのかよ」
この場合の『おうち』とは天を指す。
しかし一ヶ月前別れを告げたはずの天使は飄々として言った。
「エルクの歌声の持つ力は私を呼ぶだけでなく実体化までさせたのだ。こんな機会再び訪れることなどあるまい。私はしばらくこの世界を堪能しながらエルクの幸せを見守ることにした。エルクを不幸にしたら天罰落とすからそのつもりでな。ろくでなし」
「・・・・・・・・・・・・・・っ!」
絶句する俺にバド・クォルはにやりと笑った。
「まぁ、今日エルクが出てくるのがわかって昨夜は寝れなかったくらいだ。多少のことは大目に見てやろう」
「〜〜〜〜〜っ!!!!?」
何故そんなことを。
バド・クォルは俺に見せ付けるように指先で真珠色に輝く羽根を弄んでいた。
そういえばこれと同じものが俺の部屋にもある。こいつから渡された羽根をエルクはどこからでも見えるように細身のコップの中に立てかけていた。
天使という存在がどこまで万能なのかはわからないが、あの羽根がこいつの身体の一部だと言うのならあれがアンテナになっていても不思議ではない。
俺が考えたことがわかったのだろう。それが正解だといわんばかりににやりと笑う天使を投げ飛ばして俺は家に向かってがらがらとカートを引きずるように走り出した。
「燃やしてやるっ!あんな羽根!!!!」
「あははははははは」
「何だどうした。夕飯を自分で作る気になったのか。いい心がけだ」
「やかましいっ!」
見当違いなアリエスの言葉に怒鳴り返すが、忌々しいことに二人の足音がくっついてくる。
「あ、あのっ」
エルクがカートの中から声をかけてきた。
「あの・・・・僕・・・・・・っ」
その消極的なイントネーションにその言葉の先がわかって黙らせる。
「帰るぞ。お前がいねーと落ち着かねぇんだよ。色々話したいことも聞きたいこともあるっ。三食食わせてやるから黙ってうちに来い」
エルクは暫く何も言わなかった。
「・・・・・・・・いいんですか?」
そして漸く聞こえた震える声を抑えるかのような問いかけは、拒否のものではけしてなかった。
俺は笑みを浮かべる。
「家賃は払ってもらうからな」
「え?あ、はいっ!」
慌てたようにエルクが頷いた。それに笑いをかみ殺しながら俺は言った。
「そうだな。家賃は・・・・・・」

あの日見た、エルクの微笑みが脳裏に浮かぶ。









「お前のグロリアを」








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最後まで読んでくださってありがとうございました。(礼)






























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