夕日の色 その日も騎士はブラックスミスの工房に来ていた。 というか昨日から来ていて昨夜は二階の部屋に泊めてもらっていたのだが。 今日は狩りに出る予定は無いので騎士も鎧を外して部屋の隅の作業用のテーブルにまとめて置いてある。 シャツをだらしなく着崩している騎士は欠伸をしながらマグカップに熱々のコーヒーを入れる。 そして片手にはチーズと目玉焼きを乗せたパンを二つ、もう片手にマグカップを二つ持った。 この建物は一階が工房、二階が居住できるスペースになっていて台所も二階にあるのだが、この家の主は夜寝る時くらいしか上に上がらない。料理は殆ど作らないのか台所は埃を被っていたので、騎士は家主の許可を取ってそこをきれいにしてとりあえず簡単なものくらいは出来るようにした。 騎士も特に料理が得意ではないのだが焼く位は出来るし、朝を食べないと力が出ないので、こうしてブラックスミスの家に泊まる時は朝食を作る。 「朝食できましたよ」 「ん・・・・・」 今日も騎士が目が覚める前にブラックスミスは下に降りていつもの大きなテーブルで本を読んでいた。傍らにはすでに読み終わった本とこれからの本が別々に積み上げられている。 ジュノーの図書館に新作が入るたび繰りかえされる光景。 今日読んでいるのはあちこちの街で伝わる昔話をまとめたものらしい。 ブラックスミスは視線を本から外さずに指でマグカップを探しだして口に運ぶ。 「パン冷める前に食べてくださいね。冷めたらおいしくないですよ」 「ん・・・・・」 マグカップを置いた手に触れたパンは騎士が差し出したものだ。 それを見ないまま受け取ってまた口元に運ぶ。 騎士はブラックスミスの横に座って自分のパンを齧る。 ブラックスミスの食べながら本を読むこの行儀の悪さはとっくに諦めている。 自分もマナーがどうのという貴族のような厳しい環境にいたわけではないので諦めてしまえばどうってことはない。 いつでも、いつまでもマイペースな人なのだ。この男は。 あの日、恋人になったとはいえすべてを手に入れたと自惚れるには早すぎる。 抱きしめると強張りながらも身を預けてくれるようになったとはいえ、ブラックスミスにとってはまだ騎士より本の方が魅力的なのだろう。 製造と比べたら月とスッポンくらいかけ離れているかもしれない。 騎士はちょっと拗ねたように唇を尖らせて、腕を上げる。 本を取り上げると鈍器で殴られるので、指先でブラックスミスの耳の辺りの髪を撫でた。 「なんだ」 ブラックスミスは眉間に皺を寄せて僅かに身を引く。 悪戯を咎めるように視線だけ送って、また本に視線を戻した。 今いいところなのかもしれない。 しかしようやく生返事じゃない言葉が出てきたのだ。そろそろこちらにも構ってほしい。 「俺、不思議に思ったんですけど」 騎士が小首を傾げながら口を開く。 「ほら、火のクレイモアをくれた日。・・・・あんた、何で俺の気持ちを知ってたの?」 「・・・・・・・・・・・」 ブラックスミスは本をめくる指を止めた。 そして聞かなかった振りをすればよかったと思って内心舌打ちをする。 視線は本に向けたままでいても、自分が聞いていることはもうすでにこの騎士にはばれている。 「・・・・・・・・・・・・」 プリーストに聞いたとは、言いにくい。 どうしてそんな話になったのかとか、その時何を話していたかなど、聞かれても困る。 いや別に、話す分には構わないと思う。 自分が不感症だということはもうすでに騎士も知っている。 知っているどころか実感として感じているのだろうから別に隠すことはない。 「そりゃ、お前の態度を見てたら誰だってわかるだろう・・・」 だが、どうにも素直になれない自分がいるのだ。 差し障りのない答えを突きつければ、騎士はますます怪訝な顔をした。 「俺、あんたが自分で気がついたなんてぜんぜん思わないんですけど。あんた製造第一で、人間のことあんまり気にしてないでしょう? というか、すんごく鈍い人だし」 すんごくという所を特に強調する。 それにブラックスミスはカチンと来た。むっと眉間に皺を寄せる。 ―――これだ。 騎士はブラックスミスのことなど何でもお見通しとばかりに言う。 それが気に入らない。 出会った頃は純朴そうな奴だったくせに、付き合いだすようになって騎士はこうしてブラックスミスに詰め寄ることが多くなった。 まったくもって気に入らない。 「勝手に決めるな。お前の態度がわかりやすいんだ!」 ブラックスミスはそう怒鳴る。 しかし騎士はまだ納得いかないようだった。 「そうかなぁ・・・・。あの支援を手伝ってくれたプリーストとなにかあったんじゃないかって思ったんだけど・・・」 ぎくっと、ブラックスミスは腕を震わせる。 それを目ざとく騎士は見た。 それみたことかと騎士は身を乗り出してブラックスミスに迫る。 身を引くブラックスミスはこれ以上仰け反ったら椅子から落ちるところまできた。 「やっぱりっ」 「別に何もなかったっ」 「それは疑ってませんよっ。でも隠すことはないでしょうっ」 「隠していたわけじゃない。言うのが面倒だっただけだ!」 「もうっ! 子供みたいな言い訳しないで下さいっ!」 「お前の方が年下だろうがっ!」 「・・・・・・」 とたんに騎士が黙り込む。口をへの字に曲げて、ぷいっとそっぽを向く。 だが体勢はいまだ変わらず、ブラックスミスは閉じた本で騎士の顔を押しのける。 「どけ!」 「・・・・・・・」 騎士はその本を押しのけてブラックスミスの腰に腕をまわして引き寄せる。 ブラックスミスの胸の辺りに頭をくっつけて腕に力を込めた。 「おい・・・」 「ちょっと不安になったんです」 「・・・・・・?」 「俺、その・・下手だから・・・。苦しい思いばっかりさせて、いつかあんたが嫌になったらどうしようとか。別れるとか言われたら、俺全然立場弱いじゃないですか」 「・・・・・・・」 素直に弱音を口にする所は、この年頃にしてはいささや素直と言っていいのかもしれない。 前と変わらぬところに安心しながらも、ブラックスミスは胸の内がもやもやするのを感じた。 「だから最初から言ったろうが。俺といてもつまらないって。別れたいならさっさと別れてやるから出ていけ」 できるだけ平坦に。なんでもないことのように呟く。 実際自分でも驚くほど苦しさはなかった。 だいたい、もともとノーマルな思考のこの男が自分の上に跨ってるのが間違ってるのだ。 熱に浮かされたような表情も、吐息も、声も、触れてくる手も何もかもが自分とは違う。 抱かれていても吐くことはかろうじてないが、指だけじゃない騎士のもので体を割かれる痛みは、いくら解かされても慣れることがない。 師匠であるホワイトスミスは中に性感帯があるとか言っていたが、そんなもの自分の中から切り取られているとしか思えない。 早く終われとそれだけを思いながら抱かれるのは正直疲れた。 恐れの為か触れられていくたび冷えていく体を抱きしめて、大丈夫だからと囁かれてそのまま眠った夜もある。だがその度、太ももに熱を感じてこっちが何も思わないわけがない。 「別れたいわけないじゃないですかっ」 騎士は顔を起こしてブラックスミスの顔を覗き込む。そして何かに気がついたように視線を上げた。 「あ―・・・・でもちょっと製造にやきもち焼いてる・・・・の、かも・・・・。鉄打ってる時のあんたは本当いい顔してるから・・・」 「そうだな。気持ちいいな」 「・・俺に抱かれてる時はどうですか?」 「痛いわ、苦しいわ、早く終われこの遅漏がと思ってるな」 「やああああああああああああああっ!! ちょっ!! なんですかっ! 俺・・・・っ、普通ですよ!?」 悲鳴を上げて震え上がる騎士は涙目で訴える。 だってだってと訴える騎士はまるで大きな犬が慌てふためいているかのようだ。 単なる意趣返しだったのだが、思いのほか効いたのでブラックスミスは少し愉快になる。 口元を上げて騎士の頭に腕を回して額に口付けた。 「・・・・・・・・・・・・・」 とたんに頬を染めて大人しくなる騎士は、もっと先を望むかのような瞳をしてブラックスミスに顔を寄せる。 ブラックスミスは唇を開いて赤い舌を覗かせる。騎士の唇に唇を寄せて差し出した舌に当たった熱を絡める。 最初こそぎこちなかったキスは、回数を重ねるごとに行うことにも慣れてきた。 騎士が最初なにやら懸命にしてくるので食われるかと思ったのだが、経験が浅いのかと思えばなんてことはない。歯が当たって痛い思いをしても、殴って済ませるだけにしておいた。 行為が当たり前になる頃には、騎士もなにやら技術が向上してきたように思うのだが、それは良いことか悪いことなのか。 そう思うのがおかしいのかもしれない。 たぶん、いいことなのだと世間一般では言うのだと思う。 だが不安になるのだ。 『今じゃなくて良いよ。でもいつか・・・・あんたの例外に、俺はなれない?』 告白された時の真摯に自分を見つめていた瞳はひどく大人びていて。 それだけじゃない。 日々を共に過ごしていればいやでもわかるのは、騎士がちゃんとブラックスミスの生活を尊重してくれているということだ。 長く一人でいた自分の負担にならないように、気を使ってくれているのがわかる。 それでいて隙間隙間に自分を入れてくるものだから、逃げ切れない。今まで一人でいたのだから逃げる術もわからない。 隙間に入り込んできたこの騎士がいなくなったら自分はどうなるのだろう。 それこそ穴だらけの自分は、そこから崩れ落ちるしかないのかもしれない。 だとしたらこの不安もその所為なのだろうか。 自己防衛本能を研ぎ澄ませと無意識に思っているのだろうか。 たとえば。 さっきの質問にだってもう少し素直に答えてみれば。 痛くても、苦しくても。 それでも、お前をするのは嫌いじゃないんだと。 その声で目で、全身で愛しいと言われるたび、体の奥で疼くものはあるのだ。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 だが、大人びてきている騎士を見るたびに思う。このまま年を重ねて年相応の落ちつきを持ったら、――もしかしたらその頃はもう別れているのかもしれないが、もし別れていなくてもその頃には騎士も知るのだ。 こんな年上で不感症で無愛想で製造しか脳の無い男よりもっといい相手がいる事を。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 そこでようやく自分は騎士に大人になってほしくないのだと気がついた。 「あの・・・・・・なに考えてるの・・・?」 どうやらおろそかになっていたキスに、考え事をしていた事がばれたらしい。 こつんと額をあわせてくる騎士の目を見ながらブラックスミスは呟いていた。 「お前、とりあえず今日はこの家から出るな」 「は?」 「ああ、いや。それじゃ解決にはならないか・・・・。一生というわけにもいかないし・・・・・。しかし、まいった。俺はいつかお前を炉にくべかねんな」 「何、あんた怖いこと言ってるんですかっ!」 携帯ではない、この家にある立派な炉に薪のようにくべられたらそれこそ死んでしまうではないか。 いきなりの殺人予告に騎士が顔を引きつらせるが、ブラックスミスは深いため息をついて騎士を押して体を離した。 「そうすれば一緒にいられるのかと思っただけだ」 「え?」 騎士は眼を大きく見開く。 ブラックスミスは残ったパンをもくもくと食べて指についた屑を舐めとっている。その様子はいつも通りで、自分が言った言葉の意味をわからないでいるかのようだった。 だが、ブラックスミスにとって最も大事な炉は、いつも彼のそばにあるものだ。 ずっと・・・一生一緒にいたいのだと言われた気になったのは騎士の自意識過剰というわけではないだろう。 「・・・・・・いや駄目だ俺。ここで喜んだらおかしいって絶対」 でも、ブラックスミスが自分に執着しているのを感じてしまうと顔がにやけてしまう。 「うわ。変な顔っ!」 いきなり降ってわいた声に驚いた騎士がイスから転げ落ちる。 ブラックスミスが顔を上げると、風通しの為に開けていた窓の縁に腕を乗せたホワイトスミスが片手をあげる。 「いよう。元気にしてるか」 「師匠。今日は何無理難題をふっかけにきたんですか?」 棘だらけの言葉にも、ホワイトスミスの笑顔は曇らない。むしろニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら騎士とブラックスミスを見ている。 「何だよ人を疫病神のように。近く通ったから朝からいちゃついてるお前らの顔を拝みに来てやったんだよ。おい、そこで転がってないで客にコーヒーくらい出さねーか。気のきかねぇ嫁だな」 「俺が嫁なんですかっ? ・・・・もー・・・」 ホワイトスミスはブラックスミスに用があるらしい。騎士はぶつぶつ言いながら部屋の端にあるコーヒーメーカーに向かう。 ブラックスミスが本をテーブルに置いて窓辺に向かう。 「何かあったんですか」 「いや、夜の生活がどうなってるか気になって来ただけって、おい。いきなり窓閉めようとすんな」 無表情のまま黙って窓を閉めようとしたブラックスミスに窓を抑えることで抵抗したホワイトスミスは、弟子の胸ぐらを掴んで引き寄せた。 「お前また吐いたんじゃないか?」 その声は騎士に聞こえないように小声だった。 「・・・・吐いてはいませんよ。まだ」 「まだしてねーわけじゃなさそうだしな。治ったのか?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ブラックスミスのシャツの隙間から見える情事の痕を目敏く見つけたホワイトスミスに、ブラックスミスはため息をつく。 どうせ、知らない仲ではないのだ。 指一本入れられただけで吐いて、熱まで出した自分を看病させたことだってある。 「治りませんよ・・・」 「それで吐かないだけでも大した進歩だろ。後はそうだな、製造中にしてみるとか、鉄並べてその上でしてみるとか。シチュエーションは大事だぞ。かく言う俺も・・・」 恋人との情事を思い出したのか途端ににやけ顔になるホワイトスミスだったが、ブラックスミスの視線が違うところに行っているのを見て口を閉じる。 ブラックスミスはカップにコーヒーを注ぐ騎士をじっと見ていた。 「さっき、あいつにも言ったんですけど・・・いつか俺はあいつを炉にくべるかもしれません」 「人間焼いた炉じゃもう剣は叩けねぇぞ。タンパク質が鉄を鈍らせるんだよなぁ・・・・」 「あ。じゃあ、やめておきます」 弟子が弟子なら師匠も師匠で、殺人よりも製造が大事な製造バカなのだ。二人とも。 しかし、弟子がどうしてそんなことを思ったのか、同じく炉を生涯のものと思ってるホワイトスミスはわかったのだろう。 「お前も溜め込まずに俺でも誰でもいいから相談するか製造するか狩りで発散させとけよ」 「・・・・・・・・動ければ、いいんですけどね」 連日しているわけではないのだが、それでも週2回くらいは抱かれている。最中は緊張して体を強張らせていることが多いので、翌日は大抵変な個所が筋肉痛になって動けない。空いてる日は製造しているか町に買い出しに行くのがサイクルになりつつある。 「何。あいつ下手なの? そいつはゆゆしき問題だぞ」 多少勘違いしているホワイトスミスは窓枠を叩いてどなった。 「おい、そこの下手くそ。今日なんか予定あるのか?」 「下手って言わないで下さいっ。ちょっと今日の俺、傷つきやすいんですからっ!」 まださっきのブラックスミスの言葉を気にしているらしい。 「やかましい。黙って答えろ」 「・・・今日はプリーストが来て製造するから居ようかなと」 「なんだ。あいつまだここ来てるのか」 ホワイトスミスが恋人のつてで紹介したプリーストは、たしかブラックスミスに告白して断られている。 あれからホワイトスミスは彼に会っていないが、製造支援依頼は終わったのだからここには来ていないだろうと思っていたのだ。 「この間、臨公広場で会って、それからよく話すようになったんですよ。俺たちが付き合いだしたと知って、ちょっとねちねち言われましたけど、話してみれば気のいい奴ですよ」 今度は騎士の友人になっていたらしい。 まぁ、あのプリーストなら特に間違いは起こさないだろう。 騎士からコーヒーを受け取ったホワイトスミスはそれをすすりながら言った。 「お前ちょっとこれから俺に付き合えよ」 「は?」 「お兄さんがイロイロ教えてやるから」 ホワイトスミスにニヤニヤと笑われて、騎士は半目になって視線をそらした。 ふっと鼻で笑った気さえする。 「・・・・・・・・・・・・俺の貞操は、この人に捧げてるんで」 「お前もだんだん可愛くなくなってきたなー」 「おかげさまで。誰のせいとは言いませんけどねー」 「この馬鹿弟子のせいだろ」 「あんたのせいですよ」 そう言いつつもこの2人はずいぶん気心の知れた仲になっていて、自分よりよっぽど仲がいいのではないかとブラックスミスは思う。 ホワイトスミスは豪快に笑いながらいつもの軽口を叩く。 「まぁ、俺がいくら教えても、結局こいつは焼いた鉄でも突っ込んでやらないとイかないと思うけどな」 「あ・・・・・」 ブラックスミスが何か納得したように漏らした声に、一瞬その場の空気が止まった。 さぁっと青ざめたホワイトスミスがカップを窓枠に叩きつけるように置く。その音に重なって騎士が叫んだ。 「駄目ですからねっ! 絶対しませんからねっ!? あんた何『それもありか』みたいな顔になってるんですかっ! 死にます! そんなことしたら人間は確実に死にますからっ!」 「早まるなよっ! 悪かった。俺が悪かったから、試してみようとか思うんじゃねーぞっ!?」 「いや・・・。でも・・・・。ああ・・・確かにそういや、そうだな。でも・・・こう・・・」 「何、打開策考えようとかしてるんですかっ! 今日は製造止めましょう!? ね!? 今日は元気にみんなで狩りに行きましょう!」 その後時折、製造時に焼けた鉄を見てなにやら考え込んでいるブラックスミスに気がつくたび、騎士は心底怯える羽目になる。 彼の努力と誠意が報われる日も、実はそう遠くはないのだが、今度は絶対に認めようとしないブラックスミスに振り回されることになるなど、まだ騎士は知らない。 時に思考が飛びまくるブラックスミスに振り回される日々も、騎士にとっては愛しき日常だった。 了 ++++++++++++++++++++++++++++++ がんばれ若造。 ひとまずこれにて完結。 |