花を一輪貰った。

どこで貰ったかとか、誰に貰ったのかとか
そういう事は覚えていない。

それはきっと、俺にとってどうでもいい事だったので。



俺は貰ったその花を、部屋に飾っておいた。









The name of a flower








1


「そういや、ここのギルドマスターって…誰だっけ?」

自由主義のギルドのメンバーが珍しく全員集まったので、その夜飲み会になった。俺は早く寝たかったのだが参加命令が下され、それに付き合わされた。小さいテーブルしかなかったから広い敷物を敷いてその上に座り込み、酒場からそのまま持ち込んだ酒樽を空けていくのは見ていていっそ爽快だったが。
そして夜通しの騒ぎも一人二人と床に突っ伏してしまい終焉に近付いた所で、俺と男プリーストだけが残った。
話のネタも尽きて沈黙が流れるようになって、俺はさっきから疑問に思っていた事を彼に聞いた。
それがさっきのセリフだった。
プリーストは一瞬だけ俺を咎めるような目をして、それを隠すように目を閉じた。
そして、木製のジョッキに口を付けながら、ある一点を指差した。
「あそこに、いる」
視線の先には持ち主のわからないジョッキが一つ、中身が入ったまま床に置かれていた。
あのジョッキがギルドマスター?面白い冗談を言うものだ。

……ああ、こいつも酔ってるのか。

俺は大して疑問に思うことも無く、今度また素面の時に聞こうと思い曖昧に頷いた。
そしてつまみを齧っていたら、プリーストが真面目な顔をして聞いてきた。
「なぁ…。一つ聞くけどさ……、お前、俺の名前言える?」
「何言ってんだよ」
俺は片眉を跳ね上げて、口元を上げた。
そして…、言えない自分に唖然とした。
ギルドに入って結構経つって言うのに。どうやら俺まで酒で記憶を飛ばしてしまったらしい。
「………悪い。何か…俺も酔ってるみてぇ……」
片手で眉間とこめかみを抑えるように覆って、俺は手に持っていたジョッキを置いた。
もう暫く酒は飲まないようにしよう。
プリーストに断わって、俺は二階に上がった。
そして俺がいなくなった後で、プリーストは一つため息を付いた。顔を歪めて忌々しげにジョッキの方を見る。
「あいつ……、あんたの事完全に忘れてるみたいだな…。あんたは言わなくて良いといったけど…このままで本当にいいのかよ……。何か言えよっ!…ギルマス……っ!」
ジョッキが床を叩く音がしたが、それに答える声は無かった。






夢を見た。

どんな夢だったか、覚えていない。
ただ目が覚めた時、涙が止まらなかった。
どうしようもない空虚感に、嗚咽を漏らすことも無くただ涙だけが後から後から頬を滑る。
理由のわからない涙は、止まるまで放って置く事しか出来なかった。
これは一体何なんだろう。

俺はベットに横たわったまま、ぼんやりと視線をずらした。小さなテーブルの上。水の入ったガラスコップの中に無造作に刺さった一本の花が見える。
花の名前はわからない。
薄紅色の、大輪の花だった。

俺は……この花を誰からか貰ったのだと思う。
でも誰から?
どこで、どんな時に貰ったのだろう。
そう言えば、コップをくれたのはギルメンの女セージだった。
泣きそうな顔でこの花を捨てたら許さないと何度も言ったっけ。
…彼女なら何か知ってるだろうか。

そうだ、花の名前も聞いておこう。
彼女だったら知っているかもしれない。

そう考えたら、不思議な事に何かに急かされたような気がした。
この時間だったら起きているかと思う。もしかしたら下で朝飯でも食ってるかもしれない。
だけど涙も止まらない状態で会いに行くのは躊躇った。
他の皆に聞かれたくないから耳打ちでもしようかと冒険者カードを手に取った。
これに耳打ちできるリストが載ってるはずだった。

「……あれ?……載ってない?」

一人も名前が無い。
女セージの名前も、それどころかあの男プリーストの名前もだ。

壊れたのか?

それとも別の場所だったっけ。そう思ってカードを隅々まで読むがやはり誰の名前も載っていなかった。

たった一枚のカードでも、結構な技術が盛り込まれている。それを懐に入れて戦ってるんだからこういう事もあってしょうがないけど…。
……まいったな、再発行って時間かかるんだよな。
冒険者カードが無いとカプラサービスを受けれない。蘇生も出来ないんじゃ、狩場に行くことも危なくて出来やしないじゃないか。
「しばらく大人しくしとけってか?」
これで暫く時間をとられる。それが嫌だった。
無駄な時間を過ごす事になるのだと思ったら苦痛でしかなかった。

ベットの上にカードを放り出して、それを潰さないように横になる。
道具袋の根付に使っていた『非情な心』を指先でいじりながら、まだ涙の止まらない顔の上に腕を乗せる。一気に視界が暗くなった。


『お前は何のために強くなりたいんだ?』


「……!?」
脳裏に人の声が浮かんだ気がして弾かれた様に体を起こした。
だが誰もいなかった。
「………あれ?」
さっきのセリフは何だ?
男……の声だったよな。でも、誰の声でもない。
あの男プリーストでも、他のギルメンでもない。
じゃあ……誰の声?
耳打ちではなかった。
だが錯覚と言うにははっきりと脳裏に浮かんだ声に、俺は戸惑った。
驚いた所為なのか、涙はいつのまにか止まっていた。





2


それから毎日訳の分からない夢と謎の幻聴に悩まされる事になった。
特にあの声は一度認識してしまったからなのか、押し寄せるかのように頻繁に脳裏に浮かんでくるようになったのだ。
歩いてる時も、飯を食ってる時も。まさに所構わずに。
冒険者カードの再発行中で狩りに出る事ができなかった分、苛立ちやストレスはさらに増した。

『いつもここにいるな。他の場所には行かないのか?』
『何かあった時は呼んで。簡単な名前だからすぐ覚えられるだろ』

カードを持っていないのに流れてくるこれは耳打ちの誤爆ではないのは明らかだった。
しかも腹が立つ事がもう一つあった。あの後カプラ嬢の所に行き、カードの再発行を頼んだ。だが彼女はカードをいくら調べても問題は見つからないと言ったのだ。
カードは冒険者にとって生命維持装置を含め、いざと言う時の転送をしてくれる冒険者にとって大事な命綱だ。問題をお前等が気付く頃に俺が手遅れになったらどうしてくれる、ふざけんなと半場脅すようにして再発行を無理やり認めさせた。
ただし再発行まで一週間かかると言われたが。

そして明日がその期限だと言う頃には、脳裏に浮かぶ声に俺も半分ノイローゼになりかけていた。

『ルティエ行った事無いんだ?』
『じゃーん。こんなもの出ました〜はい、拍手〜!』
『あー…、しまった。肉切れちゃった。回復するの余ってない?ちょっと貸してくれない?な?』
『ば。化け物の餌…。なぁ…これって新しいイジメ…?』

楽しそうに俺に話し掛けてくる。
姿形も無いくせに、まるで経験した場面を繰り返すかのように。
それを聞くたびにどこか胸を締め付けられるような感覚が襲う。
俺は過去に会った事のある人間を思い出そうとした。だがその声と一致するような人間がいなかった。
まったく知らない男の声が浮かんでくる。 こんな事、迷惑以外なんでもなかった。

『好きな事をしているんだったら、もう少し楽しそうにすれば良いのに』

お前のせいで不機嫌なんだよ!!!
相手もいない幻聴にいいかげんこめかみの辺りでブチッと神経が切れた音がした。
「うるさいうるさいうるさい――――――――――!!!!!」
思わず叫んだとたん、背後から鈍器のようなもので頭を殴られた。
ガンっといい音がして目の前で星が散った。

「てめえがうるせーっ」

たんこぶの出来た頭を抱えて涙目で見上げると、あのプリーストが立っていた。手には精錬された頑丈そうな聖書を持っている。それ背表紙がこっち向いてるのは気のせいか…っ?
「殴るか、てめぇ…」
恨みがましい顔を向けると、プリーストは座った目をして俺を見下ろしていた。
ちなみにこのプリーストの名前は今でもわからなかった。今思えばギルメンのリストを確認すればよかったのだが、生憎カードがなければそれもままならない。
本人に聞いたら罵られそうなので、俺は未だに名前の事を隠していた。このプリーストは就いてる職の割に乱暴者なのだ。
「ここで何騒いでるんだ?」
そう言われて漸く自分はリビングにいるのだという事を思い出した。しかもさっきの叫びをこいつに聞かれたらしい。
慌てて周りを見渡したが、静かな室内に遠くから小鳥の鳴き声と人のざわめきが聞こえるだけで他に誰もいなかった。どうやら余計な恥はかかなくて済んだようだ。
「………何でもない」
言っても信じてもらえないだろうし、もしかしたら病院に引っ張って行かれかねないので幻聴の事は誰にも言っていなかった。

「何でもない訳あるかよ。最近あからさまに情緒不安定だろうが。言ってみろ。懺悔なら聞いてやるし、誓って一切口外しねーぞ」

驚いた。
……こいつの優しい言葉を始めて聞いた。
このプリーストとだってこのギルドに入ってからの知り合いだったからそれほど親しかったわけでもなかった。いつもどこかしら俺を歓迎してないと言う空気を作ったままむっつりとした男だった。だからこんな心配してくれているような所など見た事が無かった。いつからこんな風に話し掛けてくるようになった?
そこで俺は根本的な疑問にぶち当たった。
「あれ…?俺……、いつこのギルドに入ったんだっけ…?」
どうしてこのギルドに入ることになったのか思い出せなかった。
元々一人で狩りに出る事が多かった自分だ。それで支障は無かったからギルドには入ってなかったはずなのに。
「……一ヶ月前、連れて来られたんだろ」
プリーストは椅子をまたぐ様に座って背凭れに腕を乗せた。こっちを見る視線に注意深く、何かを確かめるような物を含めて。
俺は床に蹲ったまま呆然とプリーストを見上げた。
「連れて……?…お前が誘ったのか?」
「違う。俺じゃない」
プリーストは無表情のまま俺を見る。
じゃあ…、誰が?
何で俺はこんな大事な事を覚えていないんだろう。
頭の中をかき回されるような気持ち悪さに口に手をあてて吐き気を抑える。

『俺がギルマスやってるとこなんだけどさ。結構オススメよ。変わった奴も大歓迎♪きっと楽しいからさ』

また突然脳裏に割って入ってきた声に唖然とした。

「これは……何の冗談だよ」

何でお前が俺を誘うんだよ。
ただの幻聴だと思っていた。違ったのか?
俺がギルドに入った時に必ず見ているはずのギルマスの顔。それを覚えていない事に関係あるのか?

「………頭…痛ぇ…っ」

思い出そうとすればするほど、頭痛がひどくなる。
まるでハンマーで何度も殴られているかのようだ。
こっちは必死で考えを纏めようとしてるのに!

「……誰でもなかったんだろ」

プリーストは重く口を開いた。

「お前にとってそいつはいてもいなくても同じだった。必要のない人間だったから、お前は忘れたんじゃないのか?」

「そんなはずない!」
「そんなはずない?だったら、思い出してみろよ。名前じゃなくてもいい。お前を誘った人間の職業、顔、覚えてる事言ってみろよ!」
「…………っ!!!」
何でそんな攻めるように言うんだ!?
誰が必要の無い人間だって!?

だがプリーストがまるで断罪するかのように低い声を響かせた。

「弱い人間はいらないってさっき言ったな…。でも…俺はお前が強い人間だなんてこれっぽっちも思わねぇよ」

それに思わず俯いていた顔を上げた。視線に力を込めて睨み付ける。
プリーストなんか前線にも出れないくせにっ。少なくともお前より俺は強いはずだ。
「俺は強い!!それだけの力を…っ!」
「違う。お前は誰よりも弱い」
「違う違う違うっ!!!!」

何でそんな非難するかのように俺を見る。
俺が誰を忘れてるって!?
どうでもいい奴だっただって?
そんなはずない。そんなはず。

だって『あいつ』はっ!!!


突然視界一杯にまた赤い闇が零れていった。侵食されていくかのように。
視界一杯のそれに恐怖に叫んで、俺はそこから逃げ出した。
街中を走る。
どこでもいい。ここではないどこかに行きたかった。
俺は自分の中で何かが欠けている事を認めたくなかった。
あのプリーストが言うのも俺を混乱させるためのものだったんだ。

俺はどこもおかしくない。
何も忘れてなんかいない!!!!

……だが、それを否定する考えもあった。

自分をギルドに誘った人間は確かにいたのだ。
そして、先日の酒盛りでプリーストが指差したあのジョッキ。
『あそこに、いる』
だけどそこには誰もいなかった。それが示す意味は……。
「…………っ!!」
俺は体が震えが抑えられなかった。

最悪の事を考えたくなくて。

ずきずきと痛み出した頭と深い焦燥に襲われたまま、冷たい体を抱き締めた。心臓が鷲掴みにされたように痛かった。

どこをどうしたのか当ても無く彷徨って、最近通った事のある道に出た。そして見覚えのある人物を見つけた。
一抱えあるダンボールを運んでいたカプラ嬢をすぐに捕まえた。
「カードは出来てるか!?」
「は、はぁ!?……あっ、冒険者カードの再発行依頼した…えーっと……。はい、出来てますよ。でもお渡しするのは明日…」
手に持っていた箱の中にある封筒の束をいくつかめくって確認した。止まったところで俺の名前が見えた。
「見せろ!!!!!」
封筒を奪い、封印されていたそれをやぶって中身を出す。
「ああ。もう!そんな風にしたらっ」
カードを見た。耳打ちできるすべてのリストを。

そこには誰の名前もなかった。

俺は呆然と真っ白なままのカードを見ていた。
ギルドのメンバーどころか、今まで会ってきただろう人間すべての名前がなかった。もちろんあのプリーストの名前も、ギルドマスターの名前も。
カードが壊れていたんじゃない。
それが正常だったんだ。

「………………」

そうか。
そうだな……。俺はそういう人間だったわけだ。
ここ何日かの俺がおかしかったんだ。思い違いをしていた。
だって俺は元々誰も必要としてなかった。
己の強さだけを必要としていた。
とにかく時間が惜しかった。
強くなりたかったんだ。もっと早く、もっと強く。
武器を買う金も欲しかった。
俺のようにアサシンを職に選んでいる者は強い武器がどうしても必要だったから。
人と馴れ合えばその分時間を取られる。その事がわかっていたから必要以上に親しい人間を作らなかった。
近寄ってくる人間も確かにいる。だけど、俺からそいつらに一度も連絡した事はなかった。だから登録しようともしなかった。

『お前にとってそいつはいてもいなくても同じだった。必要のない人間だったから、お前は忘れたんじゃないのか?』

そうだ、それは正しい。
『あいつ』すらも俺にとって『必要の無い人間』だったから、いてもいなくても同じだと、そう思っていた。

俺は一人でも平気だし、一人で強くなれる。そのためには経験値も武器を買う金も必要で、それには時間が全然足りなかった。焦れば焦るほど意地になって、誰の声も聞こえなくなっていたのだ。
ギルマスだった『あいつ』の言葉ですらも。


俺は呆然としたまま片手にカードをぶら下げて、来た道を戻った。
後ろでカプラ嬢が何か言ってたが聞こえなかった。
歩き出してすぐに、あのプリーストが立っているのが見えた。追いかけて来たらしい。
そういえば俺がこうなるまで、こいつと話した事も無かったのだと、今更ながら思った。
「……思い出したか?」
何の感情もない声だった。
だがその分その言葉は茨の刺となって俺の心臓に突き刺さった。
だから、俺はそれを現実として受け止める事が出来た。

思い出した……。
すべて。
あの日自分で封じた記憶すべて。
全身を襲う脱力感でその場から一歩も動く事が出来なかった。
一滴だけ目から雫が零れて、地面に落ちる。

「…『あいつ』は……ギルマスは……、死んだのか」



おろかだった自分。
何故人は失ってからでないとそれが大事なものだったのだと気が付かないんだろう。
何故、俺はその存在の大きさを認めなかったんだろう。 

自分で自分の記憶を封じ込めるほどに、俺は彼の死に衝撃を受けたのだと言うのに。





『お前は何のために強くなりたいんだ?』


強くなりたいと願ったんだ。

だけどそれは何の為に?

その理由すらも、俺は忘れてしまっていた。








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